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日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - 一世関係
07 - 父を送りて - 清水流芳

父を送りて- 清水流芳

1927 年  シアトルの波止場

大阪商船のあらびや丸が桟橋に横着けになって居る甲板には、大勢の水夫が夫々忙しそうに働いて居る。桟橋の後ろには見送り人の群が足を留めて居る。荷物運搬人が荷物を積むのに忙しい。手提げ革鞄を持って梯子を渡って居る人もある。此処は沙港の波止場だ。自分は今日此の船で帰国する父を見送る為に此所に来たのである。

父を帰したい。故郷には年老いた母が待って居る。姉や妹も待って居る。一日も早く父を帰したい。此れは過去五年間自分の毎日繰り返した考えであった。だがこうして愈々帰るとなると何だか淋しい感じがせんでもない。

父の後ろについて其の部屋へ行ってみる。見覚えのあるとランクが二つ既に来て居る。床は四つあるのだが客が少ないので一人で占領するのだと云ふ。よく見ておかねばならぬ部屋だ。長い長い航海の間我が夢の通ふべき部屋が此所である。

亜鉛を打つ音がする。愈々別れの時が来たのだ。見送人は皆各々握手して暇乞いをして出る。じゃ気を付けてと自分も父の手を握った。息がつまって涙が出そうになるのをうんとこらえて桟橋の上に立った。

見送られる者は皆舷に立ち並んで見下ろして居る。ピュー、笛の音と共に船が静かに動き出した。船は次第に離れて行く。見送られる人皆一時にハンカチやハットを振り出す。涙をふいてはハンカチを振る婦人もある。

父の顔を見た。泣きながらハットを振って居る。涙が急にこみ上げて来る。出してはいけない。泣顔を見せてはいけない。此う思って込み上げる涙を制しながら、やっとキャップを取って振り上げた。父の顔が次第に幽になって行く。

とうとう見えなくなってしまった。今迄居た船の跡には小さな波が白けた日の光を反射して魚の鱗のやうに輝いて居るばかりである。制して居た涙が一時にパラパラと流れ出た。なに死別じゃないと後ろの方でさけんだ者がある。そうだ死別じゃない。だが人は何時死ぬるかわからない。自分はかく思ひながら悄然として沙港の波止場を後にしたのである。



(1727年 大北日報)
筆者はタコマ住。父親の呼び寄せにより渡米。日本の旧制中学を出ているので、日本語は完全。

「父親」は妻子を日本に置いて渡米したが、目的が達成したのか帰国する。

しかし、「父親」の呼び寄せにより渡米した「息子」はアメリカに留まる。

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