Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - 一世関係
11 - 佐藤豊三郎の日本の兄への手紙 (2)

佐藤豊三郎の日本の兄への手紙 (2)

From: T. Satow
    c/o T. Ishikawa
    102 Wall St.
    Chico, Calif.
    U. S. A.

郵便消印日付 Dec. 23, 1929 12 PM Modesto, Calif.

To:   Mr. S. Satow   日本青森県弘前市在府町八二  佐藤佐一様
    Yokohama
    Japan

十一月十八日附の御手紙、十二月十七日に拝読致し申候。故老母の臨終の情報に接し、亦新しく涙に咽び申候。老母にどれ程異国に放浪しつつある我が子に会いたかったらふ。私も事業さへどうにか継続して居れば、一度帰国して老母を安心させ得しものを自分の努力の足らざるを今更ながらくやしく思ひ居るものに候。一生涯取り返しのつかざる事をしたと思へば、残念至極の事に候。妻子の無き私にて母の生命は私の生存の光明であり慰めであったのだ。七十有余の老齢の母に、そういつまでも生き居る筈はないのだ。自分の無能と不明を今更ながら恥かしく、兄上様等には勿論親戚既知の人に対して会す顔無く候。然し、死せる母は復活する訳にもあらざれば泣事は是位にして置き、私の今後の生活方進に付き少々御相談致し度く候。

宝の山に来たり一度は宝を握り申候えども、又その宝に逃げられ、亦新しく握るべく努力致し居り候へども、一度来れる好機会は一生中に二度と来るものにあらず。今後少なくとも自分自身の力にて老後の生活の安定を保証できる位の金を儲畜出来得る迄、此の米国に踏止まるか旅費の出来次第兄上様等の膝下に走るか未だ未定に候。

此の米国で働く位日本にて働けば、幾等世事つらい故国とは言え、人間一匹生活出来ない事はあるまいと思はれ候。長尾氏も日本は少し働いて少し食ふていくには結好な国だから帰国するなら帰国しては如何かと最近の通信に読まれ候。

兄上は迎妻の事を心配され居るが、五十歳の花ムコも少々可愛な話に御座なく候や。やはり私は気楽な独身の方がよいと思ひ居るものに候。それから私の手紙の宛名の綴字をまちがへない様に注意して下され度候。此前の手紙にはChico をShico とCalif をSalif としてC をS とまちがえて居り申候。それでも手紙は届くには届いだす。最も私の書きやうが悪かったかも知れん。

何れにせよ、今一二年は米国で働く考に候。兄上様等の子供等は皆相当の年齢に達し、私が米国に渡航した時の年齢に成って居るならん。実に今昔の感に不堪候。

明年は加州の林檎の栽培地に働きに行き、米国式の林檎栽培方法を研究せんと考へ居り申候。目下は加州の葡萄畑に働き居り候。

帰国の際はフオドの貨物自動車か或は普通の五人位乗れる自動車一台持って帰らふと思ふて居るが、貨物自動車の方が林檎を市場に運ぶに至極便利だらふと考え居るものに候。

是れで年末並に年始の挨拶に代へたく候。旧式の新年の挨拶も兄弟間には無意味と考へ居る次第に候。親戚の人には年始の挨拶を兄上より御伝へ下され度候。

十二月二十一日の夜

兄上様                 豊三郎



上記の手紙は便箋5枚に書かれている。同じく弘前の佐藤家から複写を頂く。封筒のアドレスはChico になっているが、消印 Modesto になっているから豊三郎さんはモデストの葡萄畑で師走の寒風にさらされながらぶどうの蔓(つる)切り pruning の仕事をしておられたのか。

Chico はフルーツ類の多いところで、その住所は多分、豊三郎さんがパーマネントアドレスのために石川さんに頼んで使わしてもらっておられたのではないだろうか 。

一世パイオニア資料館 - isseipioneermuseum.com - 2010