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日系一世の奮闘を讃えて

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  物語 - 一世関係
11 - Oh! Yohohama 懐かしの横浜 1927(昭和2年)   河村幽川
 
             
 

Oh! Yohohama  懐かしの横浜   1927(昭和2年) 河村幽川


海を渡る水鳥の数がめっきり多くなった。潮にぬれた漁船が時々行き過ぎる。「もう小笠原諸島を通過しました。」そんな通報が日本に帰る乗船者を喜ばしていた。乗船者は日本観光に行く外人旅行者の外、日本人は久し振りに懐かしい故国を訪問する人、近親者の不幸を弔いに行く人、送還される密入国者、病気で帰る者、一人で多くの子供を連れた母親、夫に死別して当てもなく帰国する婦人などだ。船は今一転又一転と推進機と舵機により故国へ故国へと急いでいる。

「日本の島が見え出しましたよ」のボーイの知らせに、みんな元気づいた。我も我もと甲板に上っていく。「どこに見えますか」「アア見えます。ではもうすぐですね」船は房総半島を過ぎて、東京湾に入る。ヨコハマのなつかしい市街が船の先にだんだん浮いてくる。波止場の光景がはっきりと見えてきた。埠頭に群がって迎えに来ている人々の顔が、はっきりと見えてきた。船はじりじりと、桟橋に寄りそってくる。そのうちに、船は恋しいヨコハマの岸壁にピタリとその巨体を横着けにした。機敏な人はもう、桟橋の出迎人の中から自分の探す人を見つけて手を振り大喜びである。

米国に上陸するときのような面倒な移民官吏の取り調べもなく、船が着くとすぐ上陸できる自由さが何よりうれしかった。排日の国の加州では四人の子供をゾロゾロつれて歩くことすら、排日の種を蒔いているようで外出するのさへ心苦しく感じたものだ。それが、ひとたび日本に帰ると、害具へのすべての気兼ね苦労がなくなって、全く晴々しい心地になる。外国の土地を歩くのと、自分の国の土を踏むのとは、こんなに感じが違うのかと私共は今更ながら母国の有難さをしみじみと感じた。

船の出口には日本の巡査がいて、大手をひろげて白人客の出るのを止めている。ブロークンイングリッシュで、「ユー キャン ナッツ ゴー アウト ナーウ」とやっている。その中を私共三等客は平気でさっさと出て行った。まったく気持ちがよい。「査公、うんと吾々の仇を打ってくれ」と云いたい位である。

船を下りると、出迎人が十重にも二十重にも人垣を作って、出てくる人をうれしそうな顔で見ている。「久し振り」「会いたかったわ」「オオお前」「ようもどったね」、、、、と、嬉し泣きの泣き声と泣き顔で再会のよろこび。

埠頭では喜劇ばかりが演ぜられてはいない。いろいろの悲劇が起こることが多い。出迎えに行くと、本人は帰国の途路死んでいたり投身したりしてゐて、涙を流す不幸な人もあれば、折角迎えに来てみれば半死の病人であったり、想像もしないほど落ちぶれた人となっているような例は、毎船かなりの数にのぼるそうだ。

「お金の国からお帰りのお客さん」というので、宿屋では下にも置かぬ待遇である。實は旅費を借りて帰っている私共であったが。

子供らはいつの間にか、二人の女中につれられて風呂に入って帰ってきた。子供らも全く生活の急変に驚いてしまった。金で動く世の中を知らない子供たちは、おそらくお父さん、お母さんより、もっと親切な人があると思ったことだろう。風呂から上がった子供らに「もうお休み」と言ってもなかなか寝ようとしない。不思議に思って文子に聞くと、「ベッドは?」と云う。「これが日本のベッドです」と妻が、女中のべたふとんを指さして説明するが、中々承知しない。「スプリングもマットレスもないでしょう」とこぼす。今度はトウガンのように堅い日本枕に手を当てて、「もっと柔らかいのを頂戴。これはお米の袋ね」と云う。私共は苦笑するより外なかった。

その晩、久しぶりに日本のお湯に入った妻が、不思議な笑顔をして帰って来た。「面白い事があった?」と妻に聞くと、「マア、びっくりしましたのよ。お湯の中で」「何かね?」「男でよ。私が気持ちよくお湯に入っていると、薄気味悪い男が入って来るじゃありませんか。シャツ一枚で、股から下はすっかり出して、ニヤニヤしながら近づいて来たんです。そして、その男が「奥様お背を流しましょう」って云うんです。私、すっかり困ってしまいましたよ」。

「そんなこと困らなくてもいいじゃないか。向こうは商売なんだから。で、流してもらったのか?痒いところへ手がとどくように」。「思い切って流してもらいました。でもなんだか冷々しましたよ」随分失礼な金儲けをする三助だと云っても、これはアメリカ人になりかかった人間の観察であって、日本人には少しも不思議はない。そこに女人第一のアメリカに居た者と、男子第一の日本に居る者との見解の相違がある。 中途 おわり


「排日戦線を突破しつつ」より抜粋 1930 昭和5年  川村幽川 著

著者自身の訪日の実話に基づく随筆で、日本の土を踏む喜びが伝わってくる。’A同時に、当時の米国における強い排日の風潮の時勢を反映している。 




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