Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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    物語 - 一世関係
31 - 訪 日 雑 感 - 田村権之丞
 
             
 

訪 日 雑 感      田村権之丞   1960年(昭和35年)

昨年私共夫妻は当沙市本願寺別院主催の訪日観光団に参加して母国訪問の旅に上がった。私は三十八年ぶり、家内は二十年ぶりである。日本が戦後何もかも変わったということは聞いていたが、百聞一見に如かずと云う。行って見れば、まさに何もかも将に驚嘆そのものである。精神面でも物質面でも、日本は大きく変わっていた。

日本の人口の多いことは、今更ここに喋々の要はないのであるが、一度訪日された方には、まず第一に目に止まるものは到る所の人の波である。そして、その瞬間に感ずることは、これらの人達が如何様にして生活しているだろうかという事である。だが、それは日本内地に滞在してつぶさに観察するなら、人々は彼らの環境の然らしむる適切な生活方法によって、日々を過ごして居られるのであって、今日では私共が海外から眺めている様な苦しい生活ではない様である。

終戦直後幾年かの生活は悲惨そのものであったと聞くが、今日の状況は充分に恵まれた生活状態にある。それは経済財政の立て直りによって、漸次国民生活が豊かになって来たことは云うまでもない。斯くて日本経済はぐんぐんと伸び、特にここ六七年の産業界の発展は驚異に値するものがある。殊に近年の自動車産業とその進出は著しく、超速度の勢いで発展している。かかるが故に、今や既に大都会では乗物の洪水で(第一は自動車、続いてオートバイ・スクーター及び自転車)交通地獄を演出している状態である。ここにおいて最も深刻なる関心事は交通道路に就いてである。あの狭い土地に、あの狭い道に逐年幾十万台という乗用車の増加を見て、この交通を如何に処理してゆくかという問題である。これは外来者の何人たりとも、この光景を一目見るならウーン!と叫ばざるを得んやだ。現在すでに交通事故は日に月に増加の一途を辿っている。私共が横浜に滞在中、東京の読売新聞で見たのは「益々激増してくる交通事故の防止に名案なきや」という名案募集記事であった。

今や世界文明は日進月歩に進歩し続けている。母国日本も然り。世界の先進国に伍して力闘を遂げつつあるが、未だ諸種の面において跋行的な前進である様に見える。それは、今尚過渡期が続いているのであり、総てが調整されるには、未だそうとうのタイムを重ねればならんであろう。

今日、日本の一般の生活は家庭用品にしろ、また服装にしろ、とても派手になって居る事は私共海外同胞の想像外である。ラジオ等疾の昔に全国津々浦々まで普及されており、テレビ等も現在普及に向かって前進している。冷蔵庫然り、そして裁縫ミシン、自転車及び洗濯機など今や既に嫁入り道具の必需品として数えられている。自転車に至っては家族五人に対し五台を保持し、そのうちの一、二台はオートバイ及びモーター付き自転車・スクーターというものである。

農村の機械化は、都会の機械化が影響を齎した。今日の農業経営には、先ず第一に田堀機を初めとして稲扱(いねこき)及び籾摺りなど皆機械化によって多大なる人力をセーブしているのである。一台の農機は、殊に重労働と言われる田掘りなども優に四人分の能力を持ち、又これを荷物運搬引車として使用できる極めて便利な機具である。この様な機械は、今や盛んに全国の農村に入り込んでいるのである。一例を彦根市松原町という一農村にあげるなら、百五十の戸数に対し約百軒の農家が既にこの機械を購入し使用しておられるのである。一台の価格は十五万円。そして、これが超速度で普及して生産能率が顕著になり、農産物多角化の余裕を持ち得る事態にもなっているのである。又、自動車の如きも漸次に地方の農村へも入りこんでくることは明らかである。現に東京や横浜の近在においては、あちこちに購入していると聞く。

今日日本の食生活も、戦前に比してずっと高い水準にある。それは国際貿易の進展により海外よりの輸入物資と共に国内生産の増加、化学肥料の進歩、増産方法の工夫などによる収穫量の増加と多種目産物が原因である。しかして、多種の食料品は全国各地にいとも豊かに出回っている。

戦後、日本はその制度を六三三制に改めた。以前は小学校を六年、高等小学校を二年、中学を四年としていた。現今では、小学校を六年とし次の三年を新制中学と呼んでいる。この二課程を終えれば義務教育を了えた事になる。昔日に於いては小学校の義務教育を了えれば、農村の子女などはおおむねこれで学校教育は終わったものとしていた。然るに、今日に於いては社会事情の変遷に伴い、単に義務教育のみに止めおく事の不利なる事を認める様になった。それは現今に於いては時代の趨勢に従い農村の子女と雖も外部に職を求めるに就いては必ず学歴に依ってその給与に大差がある。例えば中学出と高校出では七対三と云った給与の差がある。そこで、必然的に子女の進学に力を入れ高校へと送り込む家庭が益々多くなってきているのである。

斯くて学校教育の進歩によって、今日一般児童の頭脳は昔日の比ではないのであるが、ここに一つの疑問がある。それは学校制度改革と共に道徳教育の修身科の取り除きのままになっているとのこと、然らば之に代わる何かの代わりがあるかというに、それもない様である。私共海外移住者は何十年ぶりで母国日本の世相を眺め、人々の動作や態度を見る時、気になる幾多の行動を見かけるのである。終戦直後の一時、道義は地に落ちたという。されど生活の安定、人心の安定と共に漸次回復しているのであろうが、私共の目に映るものは、未だ昔日の比ではない。成人もさることながら子供の動作と作法にも目に余るものを見る。

最後に一言。戦後まだ一度も訪日されてない方には、是非一度訪日されて輝かしい前途に向かって躍進している母国日本の各般の状況を視察し、併せて懐かしい故郷の山河や各地の風光明媚に接せられ、そして日本情緒を満喫して英気を養われる事をお勧めする。(終)

田村権之丞(たむらごんのじょう)

ワシントン州シアトル在住一世

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