Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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  物語 - 一世関係
38 - 佐藤豊三郎アラスカ行き (1)
 
             
 

佐藤豊三郎(青稲)アラスカ行き (1)

 

アラスカ行き        佐藤青稲(豊三郎)

1931年(昭和6年)5月

 

アラスカの漁場行を思ひ出したのは、数年前からであるけれども、いざ決行するとなると色々な事情に突き当って、今迄は思ふて居る丈であった。 けれども、今年の四月には愈々決心して、桑港から出発することになった。

予定通り、十六日午前十時に、アラスカ行の我船は汽笛と共に桟橋を離れた。乗組員、船員とキャナリに働く人と合わして三百人位だそうです。 桟橋には婦人や子供の見送りの顔も見えました。同乗の画家は早速写真機を持ち出して、女の泣き顔を写そうととしてアチコチ走り廻って居ったのは、画家らしくて面白かった。

私は二十有余年前、横浜から英国船に乗って来た船と同様に、三階のベッドで不自由を感じるけれども、寝られない事はない。私は前日即十五日午後三時頃に乗船した為、ベッド皆他の人に占領されて空いて居るのは見出せなかったから、荷物そのままにして、甲板に出て金門湾の景色を眺めて居った。

金門湾を去るに従って、船は動揺する。大海へ大海へと船は進む。荷物が気に成るので、下の吾等アラスカルンペンの寝室に下りて見る。マトレスの残部が片方に積み上げられるのを皆で片付けて居った。午後五時前後に陸は水平線上に影を没し、愈々旅に出た感がする。\

残りものに福ありで、容易く自分のベッドをハッチの近くの一番下に見出し、明い中に自分のベッドを作って、アラスカルンペンのホームが出来た。夕食を甲板で潮風に吹かれながら食ふ。ニューホームのベッドに早く入る。寝心地は悪くない。けれども、寝付かれない。万感交交至ると書く処だけれども、鈍感の私には感ずる何物も持たない。アラスカの夢見て、明くれば天気晴朗、浪高く、早速大洋の日の出を拝む。朝陽晴れかけし頃より、ボチボチ、画家・大学生はデッキの吾等の集合所に集まって来る。

赤いスエター/同色のキャプの渡辺画伯はニコニコ顔で東北弁で話し初む。天文学専攻の桑本大学生は真面に聞いて居る。僕は時々野次を入れる。経済学専攻の岸本大学生は学究的な理論付けて説明する。若き画家にて革命家の門脇君は、処女の様な静かな声で実例を引いて反殴する。猪熊、河井、若き美術学生は瞳を燃やして聞いてゐる。話題は社会運動、芸術、天文と各自の専門の話、未完成なれど未完成の処に新生命の発芽が見えて面白い。

話酌( タケナワ )なる頃、昼飯のなべペンを底をたたく音が聞へる。皆が階下に降りて各自の食器を持って来る。クックから御飯一山と御カズ一皿と漬物を貰ふて来る。私は出帆一日前に乗り込んだが、他のアラスカ行き人夫は出帆前二日前に汽船に詰め込まれ、厳重に監視せられた。 これは、船室の不潔と食料の悪き為、前借を踏み倒して脱船する者を防ぐ為だそうだ。船室は甲板の下に、荷物同様の一室に三階のカイコ棚に日・比・黒人百五十人計り乗り込ませた。船のにほひと人間の香で一種異様な雰囲気が流れて居る。其処の隅、此方のベッドに腰掛けて、ボットルの儘、喇叭呑みして居る連中もある。

 

五月十五日(金)

一  山路行く友は山唄を唄ひ出した。

 

   アラスカ・ルンペン 埠頭にて

   歩道に据へたストーブより 揚げたての蟹の香

   鴎跳び舞ふ デッキ上の食事

二  潮風に吹かれるから デッキ上の食事

三  歩道(舗道)の釜で 煮た取りたての 蟹の香

四  暮れ行く 金門を眺め 船に居る

五  禁酒した 淋しい顔を 潮風に吹かして

六  暮れ行く 灯がない ベッドに入る

七  アラスカ・ルンペンの気軽さ 船に乗る

八  勧められた酒を 断った 後の心

 

十六日午前十時

九  甲板で蟹(の缶詰を食べ)の味 船は動き出した

一〇 女の泣き顔 写さんとする 画家

一一 今 金門湾を出ん 我が船の 汽笛

一二 甲板の 日向で振る サイコロ

一三 水平線に 島光りて ホワイト・キャップ

 

   船 橋をはなるるや 女 泣き出した

   鴎が居ない 陸が見へなくなった

   鴎も陸も 姿を消して 唯 蒼海へ

   星空動く 大波 甲板を洗ひ

 

十七日(青天浪高)

   大洋の蒼空と 芸術家等の 熱弁

   甲板の 吾等の語らい 船の動揺を忘れ

   大波越へる 甲板で 吾等の集ひ

 

甲板でボスより餅菓子の御馳走を頂く。ボン・テーブルには、酒・肴の馳走あり。 すすめられたが御断りし、夜はボン・テーブルにてポカー・ゲームをする。

夜一時頃、寝入る。船の動揺烈げし。

 

十八日(月曜)

   茶碗と箸持ちて 食事持ち 吾等ルンペン

   大洋の 真中で味ふ 味噌汁

   革命歌の高唱 大洋のタダ中

   波静かなる甲板 高唱する 革命歌

   帆立貝 帆を浮べて 浪静かなり

   入る陽を眺め 甲板の 散歩

   革命歌を 海に唄ふ

   ポカーのテーブルの 響きを圧して 革命歌

   大洋の真中で 革命歌の高唱

   幕を敷いたやうな 海面

 

十九日(火曜日)無風、海面鏡の如し

   帆立貝 帆を浮べ 青い幕の海面

   アラ 鯨の尾が頭が 見へた

   ヒリッピンの 太いハンカチが 潮風に吹かれ

   何ぜ大洋に xxする鳥を射るか

   青い幕の 海走る 吾等が船

   彫刻する画家 甲板の夕陽

   幕を敷いた 海を走る 吾等が船

 

五月廿日(水) 霧来襲、北風があり、午後晴れ、西北風強し

   皆がミルクの皿を綺麗に洗ふてる

 

五月二十一日 強風、浪高し

   波の山 越へる船 足人の足

   船は甲板を洗ふ 高波を越へ

 

五月二十二日(金)

   激浪静まれど 寒気強し

 

五月廿三日(土)天気、浪静かなり

   同じ髭顔が 日向ボッコする 甲板

   大洋の 蒼空に 仰向けに 寝る

   大洋の 蒼空に x雲を仰ぎ

   大洋の 蒼空で 大アクビ

 

廿四日(日) 曇天、寒気強し

   犬に 着物着せて 寒し

   コーヘー 呑む手寒し 今朝

   メキスカン・ルンペン 空缶にコーへー 運ぶ寒き (コーヒー)

  

五月二十五日(月)曇天、浪静かなれど寒気いよいよ強し

   同じ感情が 飯食へてる

   コーン・パイプを咥へた イタリアン漁夫の 円い顔

   コーン・パイプ 咥へた 円い顔の イタリアン漁夫

 

五月二十六日 曇天・寒気強し

   白き息を吹き 対岸の雪の山を 眺めてる

   蒼海に浮ぶ〈雲間に浮ぶ〉火山 白煙を吐き

   アラスカの 火山を眺め 吾等の昼食

   雲間火山 白煙を吐き

   アラスカ富士 眺めてさびし ルンペン〈桑元〉

 

東へ東へ

 

  【出港以来、北進をつづけていた船はアラスカ半島の北側のベーリング海

   に入り、進路を東にとる。まもなく目的地に到着か。】

 

   北海の 濃霧晴れて 東へ東へ 走る我が船

   北海の 濃霧晴れて 我が船が 東へ東へ 走るうれしさ

   北海の 濃霧晴れ 甲板の上で 上陸の話

 

五月二十七日(火)

   雪ふる 北海の一色

   唯一色に 雪降ふ 北海の空

   北海の空 雪降りて 一色

   雪の甲板で写る 吾等の群 【遺品にあるのは、多分、この時の写真か】

   アンカアの 汽笛響く アラスカの沖 (anchor 錨)

 

四時半に錨【いかり】下ろす  ブリストル湾

 

二十八日 【ナクネクに上陸】 青天なれど寒き風  

   雪のつらつら降る アラスカの地の第一歩【東北弁でチラチラのことか】

   萌へ出る 枯草に 横ふ橇

   北極の荒地に 咲いた 菫の一輪

 

二十九日金(金)青天なれど寒気強し

   雲足寒き 明るき夜の アラスカ 

 

   北国の風 澄み チンドラーの散歩  (ツンドラ)

   風澄む 北国の チンドラーの散歩

   チンドラー 散歩する 澄み切った風・空気

   アラスカ、デルタの 満月の色

   あざやかな アラスカ 満月の色

   風 澄み切った ツンドラーの散歩

 

五月三十日 青天寒気強し

   アラスカの 同胞の墓地に参詣す

   新しきチンドラ躯 入れた仏に野花を捧げ   むくろ か

   新仏は 酒のみで あったと

   期せずして 招魂祭日 アラスカの 同胞の墓地を詣る

   犬吼ゆる アラスカのデルタを 照らし 満月

   チンドラの むくろに入れた 新仏に 野花置く老人

   極地の新仏に 野花置く 老人

 

五月三十一日(日曜) 曇天、寒風強し

   チンドラの 上に 野糞垂れ 空低し

   空底き ツンドラに 野糞を垂るる

   館府の日向で 比嶋人の 音楽

   ツンドラの 日向暖かく 底き空

   極地の荒野に 菫の押花

 

六月一日(月) 曇天、寒気強し

 

六月二日(火) 曇天、寒気強し

   極地の朝冷え せきをさそひ

   底寒き アラスカの朝は せきはせきを誘ひ

 

六月三日(水)降雨、寒気強し

 

六月四日 (木)  雨、霜、寒気やわらぐ

 

六月五日(金)午前九時より雨降りはじむ、二時間ばかり仕事

 

六月六日(土) 朝より降雨、午後四時頃まで働く

   雨の館府 比島人の哀歌

   雨の館府 比島人の 頭が光る

 

六月七日(日曜)晴天

 

六月八日【月曜】晴天、暖かし

   亡国の調べを歌ふ 比嶋人に アラスカ 日永く

   アラスカの日 暮れず 比嶋人の 亡国を歌う

   潮ひけば

   濱のボート 潮引き 夕陽の傾きて

 

六月九日 好天気、気温温和、終日 缶みがき

 

六月十日 霧からしぐれる

   よく唄ふ 夜なき国の ヒリピン人の群

   明け早き 極地の 小鳥の囀り

 

六月十一日(木)午前霧、午後晴、気候温和

   イビキ(鼾)して ツンドラに眠る メキスカン 

   アラスカ人足部屋より

 

六月十二日 晴天、気候温和

   初めて ヒングサアモン味ふ 皆の顔 (キング・サモン)

 

六月十三日 ( 土)  朝曇り、午前十時より晴る

   夜なき国の人足部屋の暖辺

   ストーブを囲み 話する 夜なき国の ルンペン

話は ストーブを囲む 夜なき国の ルンペン 

   夜なき 人足部屋 ヒリピンの 亡国の唄 響く

   夜なき 人足部屋 唄ふヒリピンの群

   ヒリピンの 亡国の調は アラスカの 人足部屋に響き

   亡国の響(調)ある ヒリピン 夜に唄ふ

   夜なき国 話は ストーブを囲み

   エスキモーの犬つるむ 覗く顔

   若人は 髭蓄へて アラスカの 日永し

   アラスカの 日永く 若人 髭を蓄へ

 

十六日(火)曇天気候温和

 

十七日(水)午前降雨、午后晴 午前二時間働く

   河縁で 取りたての サアモンを焼く

   濱で焼く ヘンクサアモンの色

   濱の焚火で味ふ サアモンの色

   アラスカの 空底く 濱の焚火のサアモン

   空底き アラスカ河岸に サアモンを焼く(焼くサアモン)

 

十八日 ( 木) 曇天、気温温和

   サアモン焼く煙 河岸を流れ

   サアモン焼く 河岸の 空底く

   皆が寝た トタン屋根打ち 雨の音

 

十九日(金)曇天、気候寒し

   極地に 独立を叫ぶ ヒリッピンの若者

   独立を叫ぶ 夜なき国の ヒリッピンの若人

   独立を叫ぶ 夜なき国の ヒリッピノの集い

   ヒリピノが 夜なき国で 独立の絶叫

 

廿日(土】晴天、気候温和  廿一日(日)晴天、気候温和

 

廿二日(月)晴天、気候温和

   潮のひけ時の 網の鮭

   潮ひき 断末魔の 網の鮭

 

廿三日 ( 火)  前日と同じ 仕事二時間ばかり、後は休み

 

廿四日(水 ) 朝曇り

   薄霧の河口 漁船 帆を上げて

   漁船 帆上げて 北海の空曇り

   漁船 帆を上げ 河口薄曇り

   薄曇る河口を 漁船 帆をならべて 北海へ

   カイコ棚 丁藁打ち 若者 髭をのばし

 

廿五日(木)曇天、寒気強し

 

廿六日(金)雨、寒気強し 三時起床、三時半より午後十時まで十八時間働く

 

廿七日(土)雨、前日と同じ 八時より午后七時まで働く

 

廿八日(日)曇天 三時半より午后六時半迄働く

 

廿九日(月)曇天、気温温和 , 終日休業

   スカアに積まれた鮭が 雨にぬれてる

   朝三時半より働く 早 明るし

   朝三時半より働く 小鳥の囀り

   朝三時半より 働きに出る 小鳥の囀り

   小鳥囀る 朝三時半から 今日も働かねばならぬか

 

六月三十日(火)晴天、気候温和

 

七月一日【水】 青天 アラスカ・サンマアを味ふ (Alaskan Summer)

 

七月二日(木)

   サンテンポン 働きに行く 吾等   (サンテンポン 三時半)

   朝三時半の囀り 吾等の労働

   暗い顔して 今日も 働くのか

   今日も 朝三時半より働く 暗い顔

   囀りこぼるる 朝三時半より 働く 暗い顔

 

七月三日(金)三時半

 

七月四日(金)三時半から六時

 

七月五日(土)三時半から六時、六時半から八時半まで二回

 

七月六、七、八、九、十日 三時半よりたたき起され、動物のように働く。

 

十日には十時から休みで、ようやく一息つく。

   夜なき国の働き 光を聴き

   青天のツンドラに 横たはり 光を聴き

 

七月十六日 初めて終日休む

 

七月十八日【土曜日】

   キャナリー 雑音を逃げて 吸ふ煙草

 

八月二日 午後三時 

   緑流るる アラスカの山を 後にして 帰る喜び

   アラスカの漁場を去る 留守番の女

   唯独り 留守番の女に 見送られて 帰る吾等

   ションボリ 唯独り見送る 留守番の妻女

   緑流るる アラスカの山を 後にして 帰る喜び

   激働の 疲労を流し 湯の中の 大あくび(欠伸)

 

   暗い顔して 今朝も三時半より 働くのか

   ツンドラに 横はい 光りを聴く 青光

   キャナリの雑音を逃げて 吸ふ煙草の味

   スカアに 山積された 鮭が雨に光る

   薄雲る河にて 漁船帆を並べて 北海へ

   独立を 絶叫する 夜なき国の ヒリピンの集い

   空底き浜に 焚火し サアモンの香

   風呂の欠伸 其の日の激労 感じ

   やれやれ 仕事終へた (淋しい顔)

   やれやれ 仕事が終った だれた身体

   やれやれ 仕事が終った 見合し顔

   やれやれ 仕事おえへ 顔見合した

   激働を流し 風呂の欠伸

   海は永遠の 蒼味より永遠へ

   海に 革命歌を歌ふ

   薄雲る河口に 漁船 帆を並べて 北海へ

   北海の濃霧xxれ 幕の大海を 走る我船

   今日も 一日の仕事を終へ 大洋の彼方に 沈む陽

   洋上の 夕焼け小焼け なき父よ母よ

 

太古の静寂を湛えて

 

   ツンドラの湖水は 太古の静寂をxxって

   太古の静寂光る ツンドラの湖水

   船室の雑音 帰桑の喜び

   太古の色残して ツンドラ湖水の静寂

 

千古の水を湛へた古池がツンドラの野に幾箇も横って居る。芭蕉の蛙が居らないから、何となく淋しいけれども、その湖畔に佇めば静寂な心に通じるものがある。

 

   北海の空写して 湖水の静寂

 

と表現して見たけれども、いやとてもとても。此の手紙のお手元に参る頃には、加州に帰り自由労働者の群に入るだらふ。折があれば、北加にさまよひて馨咳に接したいと楽んで居る。

 

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手帳に記入されている名前 ・・ 同船者の名前か

渡辺寅次郎、 岸本卯只光、門脇憲一、 桑元秀一、猪熊義雄、 

藤中石人、河合林正、片脇、山崎

 

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青稲より波多泰巌氏への手紙   (下書き)  六月四日

 

五月の廿七日午后四時半にブリストル湾に一声汽笛高く錨を下ろした。

 

   アンカアの  汽笛響く アラスカの沖

 

翌朝の三時、鼻をつまり取られるやうな北風に顔を洗ふて、上陸する為の準備に取り掛かる。ブランケ巻き、スーチケースを各自甲板の上に運ぶ。昨夜の中に、二隻のスカアが本船に横付けに成って居る。食料品や豚と一緒に午前七時前にナクネク河に向ふてタグボートに引っぱられて行く。同行の画家にて革命家連中は革命歌を高唱する。君が代も歌ふ。流行歌も唄ふて居る内に、約二時間位してナクネク河口にある吾等のキャナリに到着した。荷物を手から手に渡して上陸し、各自バンク・ハウスに担いで運ぶ。 加州の農園なれば、車が横付けされるから荷物を担いで運ぶ心配はないが。

 

   雪の つらつら降る アラスカの地の 第一歩 (つらつらは東北弁か)

 

十有余日振りでテーブルに座って、温かい御飯を戴いた丈でも有難い。北風は寒いけれども、青天だ。青苔に覆われたツンドラ地帯が、ナクネク河に沿ふて何処までも続いて居る。樺や柳は今ようやく芽を吹いた処である。キャナリの留守番の土人の家の近くに、橇が横ふて居る。

   萌え出る 雑草に 横たふ 橇

 

カイコ棚の二階つくるりのベッドに、加大のフレシュマンの桑元君も枕をならべて床を作る。久し振りに寝巻に着換へて、アラスカの地にねむれど寝付かれない。外は十一時と云ふのに薄明い。

 

   アラスカ デルタの 満月の色

 

茲はアラスカの 河下です。(注 河下 かわしも 加州  Walnut Grove)翌日、河岸に添うふて二哩ばかり散歩する。ツンドラの雑草を踏んで歩むと、加州の富豪の家庭のカアペットを歩んで居る気持ちです。

 

   風 澄み切った ツンドラの 散歩

 

日本人の墓地が、下の古きキャナリの側にあると云ふので、見物かたがた散歩に出掛ける。僕等の居るキャナリの同じ会社に属するキャナリだそうです。四哩位あるでしょう。会社のマネジャーは、自動車で新キャナリに通ふて居る。ナクネクのタッタ一台の自動車です。墓地はナクネク・タウンの入口の小高きツンドラの上に、十本位の卒塔婆が立って居る。誰も手入れするものがないから、寒き北風にさらされて荒れて居る。昨年は、或る仏の肩や腕の骨が現れて居ったと、同行の老人が話して居た。

 

   新仏に 野花捧ぐ 老人

 

新仏は、昨年か一昨年 アラスカボーイのコックとして来た人で、よくサシミを馳走に成ったと話されて居った。新仏は、酒呑めであった事も話された。その日は五月三十日で、米国の祭日、然も招魂祭の日に極地の同胞の墓に参詣した事は、唯物論者の私にも何だかヘンな気持がする。

本式な仕事に取りかかるのは、六月の二十五日捕漁期が始まった後だそうです。上陸以来一週間に成るが、毎日タダ遊んで居ります。次週には古いキャナリから、二三万ケースの空缶をスカアで運ぶから、それの陸上げと倉庫に入れれば、また捕魚期まで休みだそうです。此の仕事も、一週間位で終了するそうです。

 

   ツンドラの 日向暖かく 底き空

   空底き ツンドラに 野糞垂るる

 

ツンドラに大きな野糞を垂れた時の気持は、何とも云はれないよい気持ちですネー。自分の生の喜びをほんとうに感じます。上陸するや、キャンプにては、酒と賭博は厳禁されて居るのは面白いです。 度々官憲に踏込まれた結果だそうです。

或る日、加大卒業生の岸本君は、デルタを散歩して大鹿の角を拾ふて、持ち帰へるのが面倒臭いから、途中で捨てて来たと僕に話されたから、それはアラスカのよい記念物だ、今日再び探しに出掛けようと、誘ふて探し当て、館府に持ち帰り、吾等の倶楽部のメンバアの各自の名を英字でサインしてもらいひました。実際、よい記念物です。皆様、御楽しみに待って居って下さい。

船中で第一回句会を開き、作品は日米に送って置いたから、御覧の上御批評を楽しみに帰ります。陸上にて、第二回の句会を開いて、其の作品 別紙で送りますから、波多さん或いは下山兄から日米に送って下さい。御覧に成ればすぐ御わかりに成るでしょうが、岸本光兄は加大の経済科の卒業生で、作句も初めて手をつけたにしては、洗練されてゐます。第二回の句には、光ってゐるものが多いやうです。藤中石人君は、加大で微菌学を専攻せられて居る第二世です。桑元秀一(貫x)君は前便にて申し上げたる通り、加大で天文学専攻とは面白い集まりではありませんか・・・・・両君には加州に帰ったら求道舎に遊びに来るやうに話して置きました。

終わりに、御子さん達、なかにも めぐみさんの可愛い達者な顔を早く見たいです。

六月四日   青 稲

泰巌様  湖畔社同人御中

此の手紙は今月末頃でなければ加州に向かって行かないだらふけれども、気の向いた時書いて送って置きます。

 

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アラスカ・ツンドラ句抄

 

岸本 光

   深紅の夕日 ナクネク河の 波に光る

   ツンドラに 眠る友に 花を捧げ 老人

   ツンドラを照らす 満月のあかるさ

   アラスカ・ボーイ 昔を語る声の弱く

   ルンペンが 社会を語る力あり

 

藤中石人

   降雪を聞き 床を飛び出す我

   アラスカの風を吸ふ 雪の音

 

桑元貫X

   肢たくましき犬 愛らしく エスキモー顔

   月丸く 湯上りの体を 風に打たせ

   ツンドラの あちらこちら 池の水が光る

 

佐藤青稲

   アンカアの 汽笛響く アラスカの沖

   雪のつらつら降る アラスカの地の 第一歩

   萌え出る雑草に 横ふ橇

   風澄み切った ツンドラの散歩

   ツンドラの 日向暖かく 底き空に会談

 

猪熊義雄

   初サアモン 皆で騒ぐ 只の二尾

   銃持つ手冷たし ツンドラに 雉追ふ

   遠山は雪 魚干す インデアン

   青草 橇の色褪せる

   小春日

    エスキモーの犬が 舌垂れて (喘ぐ) 

 

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アラスカ人夫部屋より

 

一  雨の館府 比島人の頭が光る

二  潮ひけば 濱のボート 夕陽に輝きて

三  明け早く 極地の小鳥が囀り

四  鼾でツンドラに眠る メキスカン

五  初漁のサアモン味ふ 皆の顔

六  亡国の調ある ヒリッピン 明るき夜に唄ふ

七  エスキモー犬の恋 覗く顔 (エスキモー犬つむる)

八  捕鮭の網張る 風強く

九  話はストーブを囲む 夜なき国の夜

 

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昭和六年(1931)八月 アラスカから加州へ帰る 

 

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八月

  葡萄摘む 炎天の土のにほひ

 

九月八日

  親子のやうな 夫婦が 葡萄摘みに来てゐる

 

九月十日

  樹下で昼餉をxxx少し寒く

 

 

  自由労働者進行曲 

 

一 親子同じ夏帽子のへーが通る

二 サラサラ 枯野に渡る風

三 葡萄の房に 焼けてる炎天

四 青き日 汗で働く身の

五 xx   月下の枯麦野か

六 手足のばして 野宿する 月下の枯麦野 

七 メトラークに眼覚め 野宿の朝は

八 葡萄を摘む 炎天の 土のにほひ

 

一 親子のやうな夫婦が 葡萄摘みに きてゐる

二 よごれた顔で 樹下の昼餉

  葡萄畑のテントで カナカのバンジョウ

三 カナカのバンジョオ 響く 葡萄畑の 夜のテント

 

  バラックに寝ころぶ 日曜日の永く

  頸に赤ハンカチ 青ハンカチ 葡萄摘む男

  路傍の日廻の 赤いハンカチ 青いハンカチ

  自動車通る 路傍の日廻 旭日に向かひ

  彼は足元を見て 何か考へ込んでる

  赤土の葡萄の若木は 一本の杭になりて

  塵芥を払ひ 今日も一日 働いたか

  落葉を燃やし 其の香 にほふ

  月に 洗濯を かけて置く

 

正月二十七日   昭和七年 一九三二年

  病んで やせた手を 温めてゐる

  皆でブランケ巻く 時雨るる       (ブランケ blanket 毛布)

  さした猫柳が ほころび 宿のえだ

 

二月廿五日 病む心

 

一 黒鳥囀り デルタの耕地温く (delta 三角州)

  黒鳥囀る 茲はデルタの黎明

  デルタの堤上 糸柳の思索

三 鶏啼を聞き 二番寝の夢 暖がある

四 デルタ堤上 糸柳も一思案

 

  一思案 デルタ堤上の糸柳

  トラクター走る デルタの月夜

  デルタの黎明に囀る 黒鳥や

  唯 一枚の黒土 これはアスパラ畑です

 

病む心 古流星氏へ

 

デルタに ぞくぞく出た アスパラの新芽を

  デルタの黒土を破って出る アスパラの芽

 

デルタにて  佐藤青稲   古流星氏へ

 

一 鶏鳴を聞き  二番寝の夢の暖かしも

二 デルタ堤上 糸柳も 一思案

三 デルタの黎明を囀る 黒鳥や

四 唯一枚の黒土 是れはアスパラ畑です

五 病む心

六 〈何処にも〉認識不足の連中 戦争の話

 

  デルタにぞくぞく出た アスパラの新芽を

  堤の二月の陽 七面鳥 張を入れ

  薄霧零れ 電柱にメレラーク 声を張上げ

 

古流星氏へ   薄霧たなびく デルタの新芽を

        メレラーク声を張る 零れるや

 

逸蒼氏へ    薄霧零れるや メトラーク ほがらかに

わかな氏へ   無邪気な あこの片言 春光る デルタ堤上の散歩

 

二月二十九日

  春光に のびる丈に 延びる雑草

  xx  雑草を 延る丈は延びて 春陽

  xx  春陽光る 雑草も延る丈は のびて

  雑草を 延る丈延して 春の陽

  xx  春の朝陽を浴びた 山々の明暗

  xx  デルタの旭日を浴びた 山々の明暗

  xx  デルタの旭浴びた 山々の明暗

  若草萌ゆる デルタの堤上 影と歩めば

 

影と歩む 佐藤青稲

 

  旭の静けさ 遠山の明暗

  静かに上る旭 遠山の明暗

  雑草に 延びる丈延びて 春の陽

 

雑草萌ゆ 

  デルタの堤上 影を歩めば

  樹下で昼餉をとらば少し寒く 

  街路樹吹けど 吾等銭なしは

  街路樹芽を吹き 都会の走る

  山々青めば 思はる 古里の山

  山々青めば 古里の山 思るるかな

 

三月六日

  陽にぬくみ 青空青草 無限の蒼空

 

  デルタの黒土に 二三本咲く 梅の花 

  デルタの堤上散歩する トランプ 挨拶し (tramp 放浪者)

  トランプと挨拶交はして デルタ堤上の散歩

  雉一声 デルタの堤上露しげく

  デルタの黎明静かに 雉の一声

  静かなるデルタの黎明 雉の一声

  デルタの堤上に 二三本咲いた桃なれば

  青草の  土堤の陽に抜く実無限の蒼空を

  失業者が しよう事なしに 釣を垂れてる

  堤の陽のぬくみ 無限の蒼空を

 

      無限の蒼雲

 

  トランプと 挨拶交して デルタ堤上の散歩

  静かなるデルタの黎明 雉の一声

  デルタの堤上に咲いた 二三本の桃なれば

  失業者がしょう事なしに 釣を垂れてる

  堤の陽にぬくみ 無限の蒼空を

 

      山 鳩 の 声

 

春の陽は 空を赤く染めて、今 西の山蔭に其の雄大な姿をかくした。山々の薄い緑の姿は残る陽光に墨絵のやうに浮いて居る。 デルタを包んだ 薄緑の霧の衣は、暗黒の夜の帳を着変へんとして居る。点々と黒き森の住宅には星のやうに灯が灯る頃、自分の付近の堤上の柳の枝より山鳩のホーホーと云ふ鳴声が柔かく平和にひびく。しばしして亦、ホーホーと啼く此の声を聞くと、宗教家が表現せる天国を思はせる。嗚呼平和の声、山鳩の声。

    暮れ行く春をうたふ 山鳩の声 和か

 

三月八日

  モータボート しぶき立てて 春雨の中

 

三月十二日

  新芽囀る 小鳥の朝 朝な夕なのメロデー

  新芽に朝な夕な囀る 小鳥も念仏か

  野花 ふさわしき 小舎である

  新芽に囀る 朝な夕な 小鳥も念仏か

  渡し守 ボンヤリ立つ 春のどか

  捺した(活けた)野花にふさわしき 小舎である

  デルタに凧上げ 比島人の光る顔

 

三月十三日

  枯草に 卵温める 七面鳥の顔

  濁流に をどり上る 魚よ

  春朝さがり 魚は濁流を はね上り

  赤青と アスパラくくる 群に入れば

  アスパラ 赤青とくくる 年となれば

  西山に雷鳴る 夕立の色

  雷鳴る 西山 夕立の色

  這ふて苺つきる 苺の香

  垂柳 先ず濁流に 新緑を写して

  しっとりぬれた デルタの黒土に 残した足跡

  赤青と くくられて アスパラ ハアベストせらる

 

アスパラくくる 佐藤青稲

 

赤青とくくりて アスパラ ハアベストする群

  巣の鳥は 春雨に しっとりぬれて

  赤青とくくりて アスパラ パッキングする群となれば

  濁流に新緑写したる垂柳

  春雨晴れ 白雲は 山肌を走るよ

  しっとりとぬれた デルタに残した足跡

  這ふて 苺つきる 苺の香

  春朝くもり 魚は濁流に はね上る

  雷鳴る 西山 夕立の色

  赤・青とくくり パッキングする アスパラの緑

 

青草光 る      佐藤青稲

 

  レべーの青草光る アスパラの黒土

  芽吹くポプラ ターキ 張を入れ

  レべーの青草光る ターキはりを入れ

  雉鳴一声 天心につん抜けた蒼空

  雉一声 天心をつらゆく 蒼空

  働き人ばかりの キャンプに たまさかに 児の声

  天心につんぬけた デルタの蒼空

 

緑のアスパラ

 

  赤青とボンチに くくられた アスパラのうす緑 (束にする)

  赤青とボンチか くくるアスパラのうす緑

  春雨に しっとりとぬれて 巣の鳥

  サラサラ トタン屋根打つ 春雨を聞いて

  働き人ばかりの キャンプに出され 小児の声

  河畔 柳濁流に 沈黙を破りて 新芽

 

三月二十六日

  アスパラきる人 黎明に土煙立てて

  柳みどり 火食絶ちて 日光浴

  緑のどけきデルタを 河船で下れば

  みどり流れて デルタを 河船で下れば

  焚き火燃やしたまま 寝につく春夜の

  向ふは春季節 アスパラ黒土かげろひ

  アスパラ続々出て 蛙鳴く ぬくさ

  をだやかな デルタの春夜 蛙折々鳴き

  アスパラ出揃ひ 蛙折々鳴く春夜

  折々蛙啼き をだやかな デルタの春夜は

 

  朝露にぬれた 蜜蜂一塊となりて

  蜜蜂一塊となり 今朝露少し重く

  人の心が働く アスパラの賃仕事

  激働より帰る 女の優しき挨拶

  煙草のむ隙さへ惜しみて アスパラ賃仕事

  夜業より帰る つかれた眼に 星きらきら

  朝な夕な 蒲原に囀る黒鳥も 念仏か

  多数の勢に ひっぱられて 今日も一日働いたか

  風呂につかれを流し 初めて 我が身を感じ

  河畔の柳 青葉若葉と成り 囀りの哀愁

 

ペクニクにて 〈ピクニック〉

 

  今スタートを切らんとする あこの姿

  若き日の 血を沸かして 青草青空

  緑蔭に味ふ 御国料理

  御国情緒を味ふ 緑蔭の団欒

  暖雨にぬれながら アスパラ切る群

  アスパラ切る人々 暖雨にぬれて

  デルタの地に さした柳 芽を持ち 春行く

  さした柳 芽を吹き デルタの春行く

  暖雨のなか アスパラ切る 人々

 

子供が学校に来ないから、行ってみたら不況で食料なく、一家族皆寝て居た。

 

食料蛙の味     佐藤青稲

 

一  アスパラの仕事待つ人々 北風寒く

二  春まだ浅きに 食料蛙の味  (食用蛙のことか)

三  これが 食料蛙か 小鳥よりうまい

四  不況で小児 通学出来ず 食糧なく 一家族寝て居ったと

五  ポカポカ 春陽は デルタを散歩させる

 

次の十五句は手帳の最初のページにあり、しかも「アラスカの漁場行きを思ひ出したのは、数年前からであるけれども、いざ決行するとなると、、、、、 」 の文章の前にあるので、乗船直後に書き入れたものか、又は持参した彼の句稿から乗船後に抜き出したものにちがいない。 (Takemura)

 

なみなみ水溜め 水田を眺め百姓

すべて大地に根を下ろした もののみどり

暖雨晴れ黒土に残す 大きな足跡

春陽まともなる 食後の工夫ら

革命歌を海に唄ふ

ポカーのテーブルの響きを 圧して革命歌

大洋の真中で 革命歌の高唱

青葉を眺め無産者 反逆の瞳を燃やし

同じ姿に同じ弁当箱の工女 春の夕暮れんとす

しきりに赤き唾して 無産者の不平の春昼

初日に真向ふ 無産者の一と群れ

アモンズ一枝さして 無産者の室

虐げられし 路草の花を手にする

ベンチの無産者あたかに バナナを頬張る髭面

無産者のぼんやりたつ 苦悶の春野

 

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以上がこの手帳の全ページです。青稲の 1931 年(昭和 6 年)の他の作品は、当時のサンフランシスコの日本語新聞を捜せば見つかるでしょう。(竹村)

 

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