Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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  物語 - 一世関係
57 - 一世パイオニア資料館と逸蒼 粂井輝子
 
             
 

一世パイオニア資料館と逸蒼        粂井輝子


 一世パイオニア資料館(36001 Hood Canal Dr. Hansville, WA 98340)は、アメリカ合衆国初の日系資料館として、竹村義明師(浄土真宗本願寺派開教使)の手で、1976年11月にカリフォルニア州サリナスに創設された。その後、師の転勤に伴い、1995年10月に一時閉鎖されたが、2004年10月に現在の地で再開された。資料館にはワシントン州シアトルから、フェリーでベインブリッジに渡るか、シアトルからエドモンズまで行き、そこからフェリーでキングストンに渡る。ベインブリッジからは車で40分、キングストンからは20分かかる。白頭鷲もときに飛来する鬱蒼たる林の中の資料館である。

 資料館には、パスポートや柳行李から、「支那賭博」の馬鹿票,強制収容所で「密かに」使われた短波ラジオ等々、一世や二世に関わる生活物資が所狭しと置かれている。さらに、米国西北部連絡日本人会編纂の日本語教科書、加州教育局検定の日本語読本をはじめ、一世の遺した著作も数多く展示され、手にして見ることができる。

 下山逸蒼に関しては、死去する当日までの1935年の日記と、蔵書の一部が所蔵されている。これらは下山逸蒼の晩年を世話した湖畔社の波多泰巌の関係者から入手したという。蔵書は確認されたもので60冊、野口米次郎ブックレットが7冊、ノーベル文学賞作品レイモントの四季シリーズ四冊、宗教関係書6冊、外国人詩集6冊、日本人の詩集俳句短歌関係書11冊、ドフトエフスキー作品9冊、日本作家小説5冊、外国文芸3冊、現代社会関係7冊、その他1冊である。逸蒼の印とともに、「更生会」の印が捺されており、泰巌の主宰した組織が所蔵していたと考えられる。


(以下は)書籍の後ろの見返し部分に記された逸蒼の言葉と俳句の一部である。


(A)高群逸枝 「美想曲」金星堂 1922年

 「一九二二、七、六 サンフランシスコの税関より受け取る・此夜九時過ぎ校正す

 まして帰ってから一気によんで了った

  あっけなくとづれば リンテンキまではたとやむ」


(B)宮崎安右衛門「自叙伝 聖路」春秋社、1923年。

 「これは一九二三、一一、二二朝六時半霧深き丘のラフヤット、パアク迄行き帰り

 し際、偶とケッチンに於てコーヒーを飲み合えるM兄の話より暗示をうけて

 急遽購入し来たれる 而かも只一冊我がための如く大成堂の店頭に残り居し書也

 サンフランシスコにて

  月夜のサウサリート行渡船の舳先にて

  海の風たけるほど・いよいよ高く讃美歌 逸蒼」


(C)賀川豊彦 「神との対話」警醒社、1925年。

 「一九二五、一〇、一七、在インディオH夫妻より喜ばしき洗礼の消息を受け取り

 し祖の夜之を求む、サン、フランシスコにて

  この地上苦を笑ひ・永遠の星仰ぐ  逸蒼

 H夫妻へ返信の末に

  この喜びを神に感謝し・祈れば・涙」


(D)レイモンド著加藤朝鳥訳「ノーベル賞作品 農民(春)三」春秋社1926年。



粂井輝子

  白百合女子大学教授



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