Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - その他関係 
09 - 99年の愛 ジャパニーズアメリカン - 竹村義明

99年の愛 ジャパニーズアメリカン - 竹村義明

TBS開局60 周年特別番組、5 夜連続

放映録画を観た。TBS/橋田寿賀子のコンビで作られた感動のドラマだった。戦前戦中に日系人の置かれていた社会事情も、勇気を持って描写してあり、さすがだった。出演者の演技もすばらしく,アメリカ日系移民をテーマにしたこれまでの作品の中でこれが最高だと思った。

しかし、甚だ不本意ではあるが、率直に感じた事を述べさせていただく。物語はフィクションであるといっても、歴史ドラマであるからには、物語の展開する時代の関連史実は曲げてはならないし、また誤解を招く説明も許されないと思うからである。

日本で出版された書物の日系人史に関する記載には、説明不十分で誤解されるような記述もあるので、多分それらをもとにしてこの度の脚本が書かれたものと思う。しかし、この作品は、これからも多くの日系人や移民歴史に興味を持つ人に見られて、それの与える影響は大きい。それ故に、あえて、その中の間違い点を指摘して対応処置をお願いしたいと思う。場面の一部をカット、または新しく挿入することはできないだろうか。撮影しなおす事が不可能ならば、訂正箇所を明確に指摘して放映の前後に入れてもらえないか。早急に事態に対処して、次の 4 点を訂正されるのが最良の道ではないかと思う。

  • 1. 「農園を未成年の二世名義で購入」  ― NO

    二世はアメリカ生まれで市民権があるが、未成年者の場合は不動産を取得する事はできなかった。現在でも未成年者は取得できない。一世は1920年の排日土地法〈アメリカに帰化不可能な者、すなわち日本人に適用〉により、購入、保持、借用、リースまで禁じられたので、二世の出生を待ち望んだ。しかし、二世には年齢上の制約があって容易に購入できなかった。

    二世は二重国籍が可能で、アメリカ国籍を持ち21歳の成年になれば不動産の名義人になれた。しかし排日移民法で日本からの移民が制限されたり、お金をもうけたら日本に帰るという出稼ぎ目的の男性移民が多かったので、子供〈二世〉のある家庭が少なかった上に、移民歴史の浅い日本人社会では1941年ごろに成年二世は極めて少なかった。もしも二世なら未成年でも家や土地などの不動産を購入可能だったら、日系人の歴史も大きく変わり、一世の苦労がどれほど軽くすんだことか。ドラマでは、二世でも生後間もない乳児だから、当然不可能な事だった。

    2. 「戦時立ち退きの際に家/土地を取り上げられた」 NO
       「立ち退きまでに農園を処分した」        NO

    一世は不動産購入に際しては、自分の子供が未成年の場合には、信用できる他人の名義を借りて「他人名義」で所有していた。立ち退きの際に不動産は自分名義であれ他人名義であれ、政府による取り上げはなく、家や農園やビジネスを処分して手放すことはなかった。

    農業の場合は、その年の収穫クラップは安く売ったり、その後の耕作者や管理人を探すのに苦労したが、土地を処分する事はなかった。また、戦後帰還した時には、元の家に戻り同じ農地で耕作する事ができた。

    3. 「立ち退き準備期間は一週間だった」  NO

    1942年2月19日に、ルーズベルト大統領の日系人立ち退きの発表があった。3月2日に、軍司令部は立ち退き区域を西部沿岸4州の軍事地域内と指定して、区域内の日系人は全員立ち退きさせると発表した。そして、山中部、中西部、東部などに自由立ち退きしても良いが、区域内に留まる者はまもなく収容所に入ることになると言及した。

    全米で立ち退き第一陣はシアトル近郊のベンブリッジ島の日系人だったが、3月22日に通告が出て、立ち退きは3月30日と決定して、収容所に行きたくない者は、それまでにアメリカのどこにでも移るように知らせた。3月2日の発表から収容所入りまで28日、4週間の時間があった。大統領令からは5週間あった。1週間ではなかった。もしも本当に、1週間しか時間がなかったならば、想像もつかぬ大混乱が起こったに違いない。

    シアトル市に立ち退きの通告が出たのは4月22日で、4月28日に収容所に入所するとし、軍事地区以外への自由立ち退き最終日は4月28日とした。立ち退き準備期間は3月2日から8週間、大統領令からは 9 週間あった。他の地方でも、大体同じようなものだった。

    自動車、洗濯機、洋裁ミシン、家具など家財道具は、保管する所のない人は処分の必要があった。二束三文で売った人もあったし、「家を出る一週間前に売れた」という話もあった。

    4. 「強制収容所」    NO

    軍事地域内の住宅より立ち退くという「強制立ち退き」はあったが、収容所に入りたくない人には「自由立ち退き期間」があったので、収容された施設は「強制収容所」ではなくて、正式の名称は「転住所」〈 Relocation Center 〉または単に「収容所」だった。

この「番組」が、「日系人は事実を曲げてアメリカの不正を吹聴している」ように受け取られると、こちらに住む我々の立場は至極悪くなる。このままだと、「アメリカはそんなに悪かったのか」という印象がより強くなり、間違った日系人史が伝えられることになる。日系人戦時立ち退きの際「一週間の内に立ち退きになり、家も土地も取り上げられた」ことはなかった。

日系人立ち退きに関しては、憲法違反として 1988 年にアメリカ政府が謝罪と補償をして一応の決着がついた問題なのに、このたびの放映ドラマの間違った情報は新たな論議を引き起こし、アメリカ社会の反発をも招きかねない。これから英語の字幕が入れば、それは火を見るよりも明らかだ。このドラマがこれからも、より多くの人に見てもらえるように、TBS社の善処をお願いする。また、このドラマの視聴者は、物語の中の歴史に関しては、間違いのある事を認識した上で見ていただきたい。 おわり

米国ワシントン州  2010年12月  竹村義明    www.isseipioneermuseum.com
Yoshiaki G. Takemura               ygtakemura@hotmail.com

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