Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - その他関係
28 - アメリカ永住・日本訪問 (内山ストーリーより)
   竹 村 義 明
         
 

アメリカ永住・日本訪問 (内山ストーリーより)  


一九二五年(大正十四年)秋のことである。「橋の上で、弁護士に畑を全部売ってくれるよう頼んできた。日本へ帰ろう。」と家に戻った俊介は妻に云った。テーブルぶどうの相場がわるく、農園経営が難しくなってきた時でもあり、十年間支払いの土地年賦は七年間払い込んだから、二百四十エーカーの土地を六万ドルで売れば、手元に四・五万ドルは残るから日本に引揚げて帰ろうというわけである。しかしながら、 妻に話した後、何かじっと考えていた俊介は、「やっぱり売らない。」と家をとび出し、ことわりに出かけた。

移民と云えば、永住の地としてこのアメリカを選び渡航したようにひびくが、ヨーロッパやアフリカの移民と異なり、日本から移民のパスポートを持って来た人の殆どは、「一旗あげて故郷に錦を飾ろう」とか、「ひともうけして日本に帰ろう」と云う考えを持っていたので、移民と云うより出稼ぎと云う方が適切だった。俊介も、そう思ったこともあったが、家族を持ち、果樹園が軌道に乗るにしたがって俊介の日本への引揚げ帰国は、だんだんと影を薄めていった。 

一九二六年のブドウの取り入れの終わった頃である。日ごとに可愛さを増して来た二人の子供を故郷の兄弟や妻の親たちに見せたいと思ったのだろう。俊介は急に「すぐ日本に行こう。」と、言い出した。急いで僅か十日で支度をして、一家四人で春洋丸に乗り、懐かしい祖国をめざし、サンフランシスコを出たのは一九二六年(大正十五年)十月十二日のことだった。トシは第三番目の子供がお腹にいたが、初めて船に乗りはしゃぎまわる息子たちや、結婚以来初めて仕事から解放された夫の姿を見てうれしく、船酔いもしなかった。

アメリカへ来て俊介は十九年ぶりに、トシは十年ぶりになつかしのふるさとの土をふんだ。涙の対面をし、交わす言葉はとぎれがちだった。親、兄弟、みんな喜んでくれた。俊介とトシは、今まで辛抱した甲斐があったとよろこんだ。あれほど夢に見たふるさとに、今こうして帰って居ることが、夢のように思えた。過ぎ去った歳月のため、みんな年をとったが、互いの情愛は少しも変っていなかった。

 

   ふるさとはありがたきかな 

   古里の山に向かいて云うことなし〈石川啄木〉

 

久野村の内山の実家をたずね、俊介の両親のお墓参りをすますと、四人は田部村のトシの実家に落ちついた。トシは久しぶりに日本髪を結い、和服でくつろいだ。床の間のある座敷の障子を壊したり、畳をいためたりする、いたずら盛りの幹雄と茂を、トシの両親はかわいくて仕方がないようだった。家は金物屋をしていたが、幹雄が店の品物を近所の子供にあげたのだろう、その子供の親が返しに来たこともあったが、トシの親はおこりもしなかった。

帰って間もなくトシの妹が「お母さんは、貴方たちの帰りを首を長くして待っておられたのよ。あれほど会いたがっておられたのだから、又アメリカへ行ってしまったら、どれほど悲しまれるか知れないよ。」と云った。親のことは忘れたことはなかったが、自分が思っている以上に思っていてくれた母の心にふれ、トシはうれし涙にくれるのだった。やがてやってくる別離の悲しみを思うとやりきれなかったが、今はそれを考えないことにして、ただ再会のよろこびにひたった。

大正天皇崩御の悲しいニュースのあった(十二月二十五日)この年の冬は特に寒かった。持病の神経痛をもつ俊介には、湿気の多い日本の冬は特にこたえた。九州の別府温泉にも行ったが、ひざの痛みはとれなかった。その上、今まで仕事になれきった体は、仕事のない今はかえって体がつかれ、「たたみの上では寝られない」と云い出した。神経痛やベッドのない日本のことよりも、アメリカの農園の事が気に掛かって仕方がなかったのだ。

久野と田部を往復しているうちに一ヶ月がたち、一九二七年(昭和二年)のお正月になった。茂の三歳の誕生日と幹雄の五歳の誕生日を祝ってもらった頃である。俊介の気持を察したのだろうか。「お仕事があるのだから、おくれたらいけないから、もう帰られたらよいでしょう。」とトシの母が云った。つらくて二人の口から云い出せなかった別れの言葉を母の方から云ってくれた。船便を待って、二月二十七日出帆の天洋丸に乗船し、なつかしの故郷を後にした。

四ヵ月半も留守をしたので心配したが、隣町キングスバーグの土井正一青年がよく面倒を診てくれたおかげで農園は異常なく、三月中旬なので桃の花は綺麗に咲いていた。再び忙しい生活が始まった。


「一世パイオニア 内山俊介」 1975年出版 竹村義明著 より抜粋


内山トシ夫人から亡夫の事を書き残したいと依頼されて、夫人との対話と内山家からの情報をもとに一冊の本に纏めた。

 

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