Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - その他関係
30 - 人種偏見 あめりか物語 前記  山田太一
         
 

アメリカ物語 前記    人種偏見      山田太一


ロスアンゼルスで、私たちは一人の女性と会うことになった。去年の夏である。私たちというのは、このテレビ番組「アメリカ物語」を企画した山本壮太さんとディレクターの清水満さんと私である。黒人と結婚をした女性をさがしていたのである。そういう女性は数人分かったのだが、どの人も逢ってはくれなかった。私たちは、さらに伝手を求めて、該当する女性と逢えないものかと願った。

何故そのようなことを願ったかというと、日本で考えていたよりはるかにそういうケースが少ないことを知ったからである。私たちは首府ワシントンに住む知的レベルから云えば問題なく上流に属する日系アメリカ人と逢い、黒人についての質問をしたことがあった。ご夫婦とも日系人であり、二人の息子さんは白人の女性と結婚をしているという家族である。

「もし息子さんが、黒人と結婚をしたいと云いだしたら、どういう態度をおとりになりますか?」と聞いたのである。「そういうことは考えられない」というのが返事であった。息子さんは、そういうことを望むわけがないし、ありえないことだというのである。

勿論私たちは、それがありえることを知っている。 戦後、日本へ進駐して来た黒人のアメリカ兵と日本女性との結婚は、めずらしいことではなかったし、黒人と白人の結婚をあつかったアメリカ映画を見たこともある。日系アメリカ人と黒人との結婚がありえないという返事は、穏和で知的なご夫婦には似合わない乱暴なものに思えた。「あなたがたは、現実を知らない。それがどういうことなのか知らないんです。」とご主人は、おだやかにいわれた。

「いやそうかもしれませんよ」と、その返事について、別の日、日本の大学教授はうなずかれた。「黒人と結婚した日系の女性は、日系人社会の外へ出たとみなされてしまうところがあります。たとえば日系人たちの大ピクニックなどにも誘われない。といって黒人社会にも、日系人はなかなかとけこめない。非常に孤独な生活を送っている女性を知っています」白人と黒人の結婚でも、その結果いろいろなグループから疎外され、うまく行っていないケース、孤独なケースが多いという。

よくアメリカは人種の「るつぼ」だといわれる。しかしむしろそれはモザイクとでも呼ばれるべきで、人種と人種は溶け合わずに劃然と社会を別にしている。その区別をおかしたものは、それ相応の思いを覚悟しなければならない。そのあたりの情報は、かなりの本を読んでいたにもかかわらず、日本で想像していたよりはるかにきびしいものがあるようであった。黒人と結婚した日系の女性が、一様に私たちと逢おうとしないというのも、異人種間の結婚のむずかしさを物語る証左のひとつと思えた。しかし、これが白人と日系人の場合であれば、事情は余程ゆるやかなようである。黒人との結婚にはきびしい日系人社会も、白人との結婚はむしろ歓迎する空気があるようであった。とはいえ、それを簡単に日系人の黒人に対する偏見といっていいものかどうか。理性によって克服されるべきもの、ときめつけていいものかどうか。少なくとも、単一民族の来た日本から来た私たちが、性急に判断すべきことではないように思えた。

それにしても、日系アメリカ人の中では、殆んど考えられないこと(つまり黒人との結婚)を、たとえ数人であれ、実行に移している人がいるのである。その人たちの、考え方、生き方など、現実に私たちは何とか接したいと思うようになったのである。そして、八月中旬のある夜、私たちは、日系の女性と、その黒人の夫君にお目にかかることが出来たのである。

お逢いしたのは、レストランだった。当惑したのは、ご主人が一向に黒人に見えなかったことである。むしろスペイン系と言うように思えた。航空会社勤務の恰幅のいい中年の男性であり、微笑を絶やさない紳士であった。「幸福です」と奥さんはいった。日系人からの疎外感などないし。疎外されてもいないといった。二人のお子さんの写真を見せて下さる。おどろくほど可愛い。無論、幸福なら結構なことである。予期したような話がなかったことは、むしろめでたいというべきである。

ところが、翌日、UCLA (カリフルにア大学ロスアンゼルス分校) のリサーチ・ライブラリーにいる私のところへ、前夜の夫人が話をしたがっているという連絡が入ったのである。すぐお宅へ電話をかけた。すると、前夜の話は嘘ではないが、話していないことも多いのだ、というようなことをいわれた。「どんなことでしょう?」ためらってる夫人の気持ちをこわすまいとして、私はできるだけおだやかな口調で尋ねた。

夫人は結婚してアメリカに来て日系アメリカ人となった方であり、それまでは日本で育ちアメリカを知らなかったのであった。夫君が航空会社の日本支社勤務の時知り合い、それから結婚し初めてアメリカの土を踏んだのである。そしてそれまで、夫君を黒人だとは思ってもいなかったというのである。「だってほら、黒人になんて見えないでしょう?「ええ」その通りであった。

ロスへ来て、夫君のご家族と対面して愕然とした。「親戚からなにから、みんな間違いようもない黒人なんですもの」御夫君とその兄弟だけが、白人との混血なのであった。「私は黒人が嫌いです。いまでも黒人との交際はしないし、黒人の家には行かないし、黒人のつくったものは食べない。主人が黒人のパーティへ行く時は、仮病をつかって行かないし、主人を別にするのはおかしいかもしれないけど 黒人とは、どうしても打ちとけることが出来ない。黒人は「汚いし、くさい」と激しい言葉が続いた。私は、なんとこたえていいか分からぬまま話だけを聞き、礼を述べて電話を切った。

「汚いし、くさい」これは、かつて日本人移民がアメリカへ渡った時、白人から投げつけられた言葉である。、、、、、その日本人が、黒人に向かって同じ言葉を投げつけているのである。アメリカへ渡った日本人について書くことは、誇らしいことであり感動的なことでもあったが、同時に、にがくもあり、口惜しくも悲しくもある体験であった。

アメリカを発つ朝、ニューヨークの空港で、日系のアメリカ人に紹介された。「ジャパニーズ・アメリカンノセイカツヲ」とその人は、日系人独特のアクセントのある日本語でいった。「ニッポンジンガ、シツレイダガ、ナニヲカクコトがデキルデショウカ?ワカラナイニチガイナイ、カケナイニチガイナイ、ネバー」ネバーと、殆んど敵意のようなものを露わにして、その人は嘲笑的であった。私は敵愾心をかきたてられた。シナリオは、いわば挑戦の記録である。
(一九七九)

あめりか物語  山田太一 著  昭和54年
四話からなるテレビ番組となって放映された。
著者 山田太一の主業はシナリオ・ライターで多くの舞台や映画作品を手掛ける。

 

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