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物語 - その他関係
34 - 血と汗と涙の歴史 - 川柳を通じて
         
 

血と汗と涙の歴史  川柳を通じて

 

ブラジル川柳  通巻第49号   1968年9月

明治百年 ブラジル移民六十年記念 

汎米誌上川柳大会並びに第七回全伯川柳大会 特集号より


所 感               ペルー    清広 南斗生

吾々は何か新しい物を求めて希望を抱いて、はるばる南米くんだりまで骨を埋める覚悟で渡航してきた。だから、何事につけても重箱の隅をほじくるようなミミッチイことに気を使わず、もっと大らかでありたい。それは川柳を作詞する心に於いてもそうでありたいと思う。

外国に移住してまで、昔と変らぬ島国根性で他人の持ち物、食べ物、趣味についてまで疝気を病むことはない。日本人は、殊に吾々のような明治調の者は、少し伸び出して頭を上げかけると、寄ってたかって頭を叩きつける。かと思うと、こっそり下に廻って足を引っ張り、兎に角自分たちより上にあげない様なことをする。こんな島国根性は日本に置き去りにしよう。

南米という天地は広い。この広い所に培われているのであるから、川柳作詞に於いても自由で、大胆で、その中に日本に住む人には味わえない、いわゆる移民であったればこそ、移民なればこそ作詞できる、そういったものを表現して行く活気あるものであってほしい。


偶 感               ハワイ   北斗星

『海外移住者の生活を主題にしたものを書きたいから、材料をお持ちの方は提供して欲しい。、、、○月○日まで○○ホテルに滞在の予定、、、云々』と言ったような広告が、カリフォルニアの或る邦字新聞に載ったことがある。この広告を見て、どう解釈しようと、どう感じようとそれは各自の自由であるが、私は何かしら割り切れない淋しさと一種の侮辱に似た気持ちが起きた事を今も覚えている。

上掲のような広告で仕入れた資料で我々海外同胞の歩んできた苦難の道が、どれだけ理解できるものだろうか、そしてまた、それを文学作品としてどれだけ纏め上げることが出来るものだろうか。殊に戦争をはさんで世界の動乱の真っ只中を歩まねばならなかった茨の道を、果たしてどこまで解って貰えるものだろうか等と思うと、この広告主の余りにも安易で即席ラーメン的な社会観、文学観、海外同胞観に対して、腹立たしい気持ちさえ起きて来たのであった。

が、然しこれは、私の偏狭さがさせる誤解であったかも知れず、この広告主の意図は、故国を遠く離れ、万難を排して異郷に活躍する同胞の真の姿を読者に紹介したいという善意に満ちたものであったかもしれないし、また作家として海外に生きる同胞の喜び、悲しみ、苦しみを作品として纏め上げたいという文学的意欲の現れであったかも知れない。勿論、そうあって欲しいものである。或いは、他にも色々な方法で在留民の生態なるものを調べたり、勉強していたのかも知れない。勿論、是非そうであって欲しいものである。が、問題はこれで終わったわけではない。

『だったら、我々海外同胞の歩んできた苦難の道を、文学という立場から追求して作品化し、世に問うだけの力が我々在留同胞には皆無なのであろうか。』『海外同胞の歩んで来た道を世に伝え、後世に残す途は他には無いのであろうか。』無論、我々はトルストイでも、へミングウエイでも、谷崎でもない。そうした才能もなければガクモンを身につけている訳でもない。彼等のようなノーベル賞を受けたり、何百年も後世に名を残すようなものも書けない。では、結論として我々海外同胞の姿を知って貰うためには、上述の広告主の前に頭を下げるより他にはないのであろうか。私は否と言いたい。

我々には小説は書けないかもしれない。難かしい論文も綴れないかも知れない。しかし、我々の才能の及ぶ範囲に於いてなし得る仕事が、幾らでもあるような気がしてならない。それは何か?。手っ取り早く言えば、現に我々が取り組んでいる川柳がある、俳句がある、短歌がある。そのほか、色々な途がありそうな気がする。我々の足許には、磨けば光るダイヤの原石がいくらでも転がっているのではないだろうか。我々の生きてきた喜びを、悲しみを、苦しみを身をもって体験してきた我々自身が、その汗と涙と喜びを川柳なり俳句なり短歌なりに作品として残していくことの意義が、ここに大きく浮かび上がって来るわけである。

我々日本人の遠い祖先が、どの様な生活をしていたかを知るために万葉集をみることが多い。そして、その中に「詠み人知らず」の句が多いことに気付く。又、これによって名を挙げようとか、原稿料を稼ごうといったようなケチな了見は爪の垢ほども持っていなかったと思われる。ただ自分の喜びを、悲しみっを、苦しみを何かの形にしてみたかったに違いない。或いは、自分の眼で捕らえた時代の動きを、自分の心の中に映った世相や人心を、そのまま十七字に綴ってみたかったものに違いない。

文学というものは、それでいいのではないだろうか。難しいことはいらない。『詠み人知らず』でも結構ではないか。遠い祖先が万葉集を残し、先輩たちが句集を残してくれているように、我々は次代の人々のために我々海外に出た者が如何に生きてきたかということを、書き残しておくことが我々に課せられた大きな責任であろうと思う。人知れず、開拓地に骨を埋めた同胞、異邦人の中でもみくちゃにつぶされた同胞、苦難を乗り越えて異郷に力強く根を下ろした同胞、などなど、我々の生きてきた記録をつぶさに一句一句倦まず残していこう。

それは、新聞広告によって掻き集めたネタをもとに書き上げたものとは、全く違った意義あるものである。文章は比較にならないまずいものだろうが、少なくとも我々の作ったものには、血と汗と涙が沁みこんでいることだけは確かである。

記念誌特集号より抜粋

汎米川柳同人の記念誌だから、ブラジル 伯剌西爾、ペルー 北爾、アルジェンチン 亜爾然丁、アメリカ 亜米利加合衆国、カナダ 加奈陀、メキシコ 墨西哥、チリ 知里などからの川柳が入っている。


 

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