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日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - 戦後渡米者関
04 - 私の信仰 - 米国仏教放送 (3) - 竹村義明

米国仏教放送 百話 (3) - 竹村義明

私 の 信 仰

1961年4月から1964年3月までの三年間、オレゴン州オンタリオの放送局から毎日曜日、日英両語で放送した中から100話を選んで本にしました。日本語はそのままですが、英語説教は日本語に翻訳して入れました。約40話の原稿は英語です。50年前の若い時のもので、なおしたい所も沢山ありますがご容赦ください。竹村義明


第五十一話  太 平 洋 一 人 ぼ っ ち

一九二七年、リンドバーグは大西洋横断飛行に成功し、一躍アメリカの英雄となりました。今ここに第二のリンドバーグが現れました。それは他でもなく、ただ一人十九フィート(約六メートル)のヨットの乗り、九十三日の航海の後、太平洋を渡った二十三歳の日本青年です。三月十二日大阪の港を出て以来五千二百マイルの航海を終え、先週の日曜日の午後、一隻の小さなボートが金門橋の下をくぐりぬけて、サンフランシスコの波止場に着きました。

この信じ難い冒険には、ちょっとの事には動じないアメリカ人も舌を巻き、堀江青年の勇気と決断力に賞賛の嵐を送りました。彼は、航海中、五度の嵐に会い、積んでいた衣類や本、かなりの食糧を失い、何回となく進路を変えて、やっとの事で到着したのでした。来る日も来る日も、毎夜毎夜、荒海で孤独と戦い続けてきたのでした。日本出発の際、パスポート(旅券)もアメリカ政府のビザ(査証)も持っていませんでした。日本政府は、かかる航海は自殺に等しいと見て、旅券の発行を拒んだため、結局彼は法律を犯して出発した訳です。

しかし、この航海成功後、事態は一転しました。アメリカ移民局は、特に三十日間の上陸許可を与え、冒険好きなアメリカ国民は、温かくこの日本青年を迎えたのです。サンフランシスコ市長は、名誉ある「市の鍵」を与え、又、事業家たちは留学希望ならば、在学中の奨学資金を申し出たのです。日本のある船会社は、日本への無料乗船を申し出ました。日本の人たちは、みんなの手で日本に帰ってもらおうと、資金募集運動を始めています。初めて太平洋を横断したこの青年に、「英雄の歓迎」が待ち受けています。

新聞、テレビの記者会見で、堀江青年は〖アメリカの岸に着くようにと強い決意を固めていました。勿論、途中ではひどい目にも会いましたが、たとえマストが折れようとも、必ず目的を果したいと、自分に言い聞かせていました。」と言っています。どこからそんな勇気が湧いて出たのかと不思議なくらいです。人は固く決心をする時、想像以上に強くなるものです。アメリカに来たいと周到な準備をし、それに加えて彼の強い忍耐心により、遂に太平洋横断に成功したのでした。

毎日の如く新聞をにぎわす、この冒険記事を読む時、私はこれを、精神的な幸せを求めて王宮を抜け出た釈尊に比べてみています仏陀釈尊は六年の歳月にわたって、当時最高の学者を訪れ、なお真理を探し得ず、菩提樹下に座し、「我レ、正覚を取らずんば断じてこの場を立たず」とに誓いを立てられました。古い経、スッタニパータには、如何に釈尊が寄せ来る肉体的苦痛、おそれ、疑い、淋しさ等と闘ったかを記しています。座禅思索すること四十九日の明け方、太陽がまさに東の空に上らんとする時、遂に悟りを得て悟れる人仏陀となられたのです。仏教はかくして始まったのです。法句経には、「たとえ戦さの野にて千人の敵を切るとも、己れに勝つ者かそ最上のつわものなり。」と教えています。自分自身に勝つ事は並大抵の事で出来るものではりません。誘惑を退けて自己の所信を貫くことは難しいことです。大いなる勇気が必要です。みんな、勇気を好みます。今一度お互いに、自分はこの心を忘れていないかを顧りみようではありませんか。


第五十二話   父 の 日

今日は「父の日」です。父をなくした人は、もうすぐあたりが暗くなり、静かな夜がやってくると、きっと亡くなったお父さんの思い出が色々と思い浮かんでくることでしょう。今晩は、なくなった父をしんで讃仏歌「追弔の歌」を歌おうではありませんか。

   1.    み仏のみ国に往きし 君をしも 思いぞ出ずる なつかしき
        君の面影 きみのみ名 呼べば浮かみぬ

   2.    春の日の花の下かげ 秋の夜の虫鳴く夜半に 手をとりて
        み親の慈悲をよろこびし 君ぞこいしき

   3.    あなうれし み仏の慈悲の わが胸に今ぞ満ちぬる いざ我等
        ほとけのみ名をとなえつつ 君に報いん

先週の日曜日に、菅広シャーリー嬢がサンフランシスコの林青年と仏教会聖堂にて、めでたく結婚式を挙げました。その前夜の結婚式練習の終わった時のことです。みんなが帰った後、シャーリーが一人で帰ってきて、「先生、パパにお焼香さして下さい」と言うのです。ご承知の如く、シャーリーのお父さんはもう十年ほど前に亡くなりました。うれしい第二に人生を始めるに当り、めでたい結婚式を明日にひかえて、ひとこと亡き父に挨拶がしたかったのでしょう。仏前に一人たたずんで、頭を低くたれて合掌し焼香する姿、それは口では言い表せない厳粛なものでした。明日の自分の晴れ姿をひと目、父に目せたいという娘心、そして又、お蔭でこんなに大きくならせていただきましたという感謝の気持にあふれたその態度には、私も涙をさそわれました。

深く合掌し、仏前においた遺影に向かって一生懸命に話しかけていました。私は無理に聞かないようにしていましたから、何を言っていたかは知りませんが、彼女が何を言おうとしていたかはよく分かりました。目に一杯涙をてめて、一心に合掌する姿は、乙女の願いと言うのでしょうか、私は心の垢を洗われる思いがしました。

正信偈の中に、親鸞聖人は書き残されました。
     弥陀仏本願念仏 (南無阿弥陀仏のみ教えは)
     邪見僑慢悪衆生 (おごり、たかぶり、よこしまの)
     信楽受持甚以難 (はかろう身にて信ぜんに)
     難中之難無過斯 (難き中にもなお難し)

今日は父の日です。弥陀仏の本願を父の願いと代えてはどうでしょうか。まことに、邪見僑慢の悪衆生には、父の願いを信じよろこび、受けとることは甚だ難しい事です。でも、今日の父の日に当り、父親へのご恩に対し感謝したいものだと思います。


第五十三話  愛 す る 者 と

法句経の中に、「愛する者と相逢うなかれ、愛せざる者とも相逢うなかれ。愛する者を見ざるは苦しみ、愛せざる者を見るも又苦しみなり」という釈尊のことばがあります。私は、この中の「愛する者と相逢うことなかれ」という一句が今までどうしても理解できませんでした。愛する人を見ないのは苦しみとは良く知っていても、愛する人にしばらくでも会いたいのが人間の偽らざる気持なのに、何故釈尊はそんなひどい事を言われるのか納得がいきませんでした。愛する人なしには生きられない私たちであることを良く承知の上で、何故好きな人に会ってはいけないと言われるのか不思議でなりませんでした。

小さい子供にはお父さんやお母さん、若い人には恋人、そして大人には夫や妻子がこの世の中で誰よりも好きな人、大切な人、愛する人です。このような私たちが愛する人に何故会ってはいけないといわれたのでしょうか。私は、この頃やっと、「愛する者を見ざるな苦しみなり」と言う後の半句をよく味わった時、この謎(なぞ)が解けた気がしました。

可愛いわが子をなくした親にとって、優しい父母をなくした人にとって、愛する夫や妻を亡くした人にとって、また共に育った兄弟を失った人にとって、これらの人に再び会うことが出来ないということは、大きな苦しみです。愛する人と遠くはなれて住み、相見ることが出来ない事も、大きな悩みです。誠に、「愛する者を見ざるは苦なり」です。それでは、この愛別離苦の苦しみが何故起こったかと、そのもとをたずねてみれば、私たちがそれらの人に会ったことが原因です。父となり母となり、親となり子となり、夫となり妻となり、友達となり恋人となり、この世で会うことがなかったならば、「愛する者を見ざる苦しみ」はない筈です。法句経の釈尊のことばは、このことを言ったものと私は思います。

愛する者に会うなというきびしい言葉の裏には、愛別離苦の苦しみに悩む私たちに対する深い慈悲のあることを知らねばなりません。愛する者を見ざる苦しみに悩む衆生を憐れむ余り、言われたのでしょう。釈尊の言葉は、父親の如く「会うことなかれ」と言いながも、反面には母親の如く優しく「あなたの苦しみは愛する人に会わなかったらなかったのに、会ったからですよ。仕方がありません。悲しいでしょうが我慢しなさい」という慰めのことばにも思えます。「悲しみに泣き崩れてしまわずに、この逆境を縁として新しく立ち上がりなさい」という励ましの言葉にも思えます。

どこか遠くへ行った人ならば、又いつか会うことも出来るでしょう。嵐の後には日和もやってきましょう。然し、愛する人と死別した人はこの世で再び会うことはできません。いくら待っても、どこへ行っても会うことの出来ない悲しみは、人間には耐えられないほどの苦しみです。然し、幸いにも仏教の教えを信じることにより、再び会うことの出来る世界を信ずることにより、明るい希望と変わります。抜苦与楽(ばっくよらく、苦しみを抜き楽を与える)こそ、仏の慈悲です。かなしいながらも、仏の慈悲を信じて、未来に希望を持って力強く生活しましょう。


第五十四話    お 彼 岸

お彼岸のシーズンになりました。このお彼岸の意味をご存知でしょうか。これには、二つの意味が含まれています。第一は、文字の上からの解釈で、彼岸とは悟りの世界、又は仏の世界の意味です。彼岸とは「かの岸」であり、すなわち理想の世界です。だからお彼岸の法要にお参りする時は、理想の世界に心を向け、それと同時に精神を仏の教えに集中するのです。第二は、普通一般に言われている彼岸の意味です。もともと仏教の言葉であったのに、今は季節の名として使われるようになっています。日英辞典見れば、英語で Equinox と訳されています。季節の彼岸の意味です。元来、仏教の言葉であったものが、このように一般に使われるようになったのは、仏教がいかに私たちの生活に沁みこんでいるかを物語っています。

三月下旬と九月下旬にやってくるお彼岸の季節は、暑くもなく寒くもなく、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。又、昼と夜の長さも同じという全てが調和のとれた平和な時期です。仏の世界は差別を超えた世界、絶対平等の世界であり、第二の意味はこの故に生まれてきたものです。英国の哲学者フランシス・ベーコンは、人間がいかに自分の欠点をかくそうとしても、孤独と怒りと未経験の場合には、隠しきれないと言いました。この三つの場合には、知らず知らずのうちにカバーがとれて、醜(みにくい)い人間性が表に出てしまいます。宗教的に言えば、仏の目から見れば私たちのありのままの本性が丸見えということでしょう。

浄土真宗は、いかに罪深くとも救いは阿弥陀仏により保証されると教えています。しかし、だからといって何のしなくてもよいというのではりません。仏道修行の行者(菩薩)は、みんな四弘誓願(しぐぜいがん)と立て、

   衆生無辺誓願度 (はてしなき生きとし生けるものを救わん)
   煩悩無数誓願断 (限りなき煩悩を絶たん)
    法門無尽誓願智 (尽きることなき教えを学ばん)
   仏道無上誓願証 (この上なき仏道を悟らん)

と、心に誓い、その達成に励む人でなければなりません。親鸞聖人は、今も私たちがよく歌う「恩徳讃」(おんどくさん)「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」をつくり、報謝の行いをすすめました。

この世界は、仏の彼岸とちがって、不平等、不調和、不完全な世界です。そこに住む私たちも同じく煩悩多く欠点多き者です。春秋のお彼岸には、このような世界に住む私たちが仏の教えを聞いてわが身の至らざるを知り、少しでも完全な理想の世界に近づこうと努力する時です。現在の状態は、完全なものではありません。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜( ろっぱらみつ )の教えは、このような不完全な現在から完全なる未来へと導く橋です。お彼岸のシーズンに私たち仏教徒は、特に菩薩の精神を念頭に置いて、六波羅蜜を行うよう努めねばなりません。六波羅蜜は、大切な生活基準であり、報謝の行いです。


第五十五話  武 将 と ほ と と ぎ す

日本の歴史の本を開く時、戦国時代から徳川時代にかけて三人の武将がでました。他でも、なく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。織田信長は群雄割拠の戦国時代に出て、群がる、相手を攻め落とし、全国制覇を目前にしながら、明智光秀に本能寺で殺されて野望むなしく消え去りました。しかし、信長の家来、豊臣秀吉は念願の統一を果たし、百二十年あまり続いた戦乱は一時鎮まり、日本国中、四百余州は草木も大公秀吉の命になびきました。しかし、この平穏も秀吉が早く死んだため長くは続かず、やがて日本は東と西の二つに分かれて、いわゆる天下分け目の合戦が関が原にて行われて、これに勝った徳川家康は将軍に任ぜられ、徳川三百年の大平の基いを築きました。

この日本歴史の変化多き時代に生まれ、その名を残したこの三人の性格を昔から歌で次のように表しています。

   信長  鳴かぬならころしてしまえほととぎす
   秀吉  鳴かぬなら鳴かせてみせるほととぎす
    家康  鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす

三人の武将の性格ばかりでなく、家来や国民に対するやり方までわかり興味深い歌です。しかし、力なきかよわいホトトギスを前において、鳴かぬなら殺してしまえとか、鳴かしてみせるとか、鳴くまで待とうとは、ひどすぎはしないでしょうか。もしも、お釈迦さまがこのか弱いほととぎすを前にされたら、どんな歌になるでしょうか。

   鳴かぬならおしえてやろうほととぎす
   鳴かぬならにがしてやろうほとときす
    鳴かぬならそれでもよいよほととぎす

きっと、こんな歌になるでしょう。慈悲の宗教である仏教の開祖釈尊は、鳴かないからといって、殺してしまったり、鳴かせてみせようとしたり、鳴くまで何時までも待って離さないと言うような無情な事をされるはずがありません。優しく話しかけ、鳴き方を教えるか、そっと空に向かって離してあげられるだろうと思います。理屈では人に勝てません。勝ったようにみえても、それは本当に勝ったのではない場合がほとんどです。日本の小説や劇や映画の中に、「仇討ち」を主題にしたものが沢山ありますが、果たして仇討ちをしてしまえばそれで全てがすんでしまうのでしょうか。「仇討ちの仇討ち」はないでしょうか。親子代々に亘って互いに憎みあい、あだ討ちのあだ討ちが限りなく繰り返されています。一寸の虫にも五分の魂といわれる如く、誰も意思を持っています。力や権力ですべてが解決しません。「はい、そうですか」と引き下がる人は少ないのです。たとえ引き下がっても、心の中はおだやかではありません。

同じ人間として生まれ、同じ人権を持ちながら、相手の人権を尊重せずに高飛車の高慢な態度で接するのはまちがいです。お互いに尊敬し合い、愛し合い、助け合い、拝み合うのが人間のあり方です。そして、これこそがお釈迦さまが私たちに行いなさいと教えてくださる道です。理屈や力が相手の反感を買うならば、では何が一番の解決策でしょうか。それは理解と愛情だろうと思います。


第五十六話  苦 し み が 好 き で す か

四月一日は、エプレルフール、すなわち四月馬鹿と言われて、一年中でこの日だけはウソをついてもよい日となっています。ウソにもいろいろあり、人を喜ばせたり笑わせたりするような軽い愉快なウソから、人を悲しませたり怒らせたりするひぢウソまでありますが、勿論四月一日のウソは、人に迷惑をかけない程度の軽いジョークが許されるのでしょう。なにでも、ものには程度があり、その程度を越すと楽しいはずのことまで苦痛に感じられるものです。

仏教では、悪意あるウソは妄語(もうご)として、十悪の一つに数えられています。何故ならば、そのようなウソをつく時、心は正常なものではなく、曲がった心になっているからです。そしてウソは、人を喜ばせたり利益を与えるよりも、害を与えることがはるかに多いからです。できるだけひとに迷惑をかけない人間になること、これは仏教徒の第一条件だと思います。

私たち人間は、皆一人一人顔かたちが違っています。話す言葉や住む所も違っています。色の黒い人もあるし、白い人もあるし、黄色い人もあります。南洋の島に住む人も、北極の氷の上に住む人も、ヨーロッパの大陸に住む人もあります。話す言葉や生活水準や習慣にも大きな違いがあります。しかしながら、唯一つ変わらないものは、みんな人間であると言う事です。外面はどんなに違っていても、内面にはどの人も同じ人間の心を持っています。自分の楽しみと感じることは他の人もやはり楽しみと感じ、自分の苦しみと感じることは他の人もやはり苦になります。そのことを釈尊は、「他の人もかくのごとくなり。去れば、己れを愛する者は、人をそこなうべからず」と言っています。それなのに、私たちは自分が苦になる時はいやだなあと思い、どうかしてこの苦しみを早くなくしたいと思いますが、他人の苦しみには案外平気で、自分に直接関係がないからと、注意を払わない傾向があります。

「あなたは苦しみが好きですか」と聞かれた時、「ハイ、好きです。」と答える人は一人もいないでしょう。誰しも、「いいえ」と答える自分である事を知っているにもかかわらず、他人の苦労や不幸には気がつかないのか、ウソをついたりいじめたりして苦しみを与えています。これがもし自分に起こったらどうだろうかという大切な一事が忘れられています。もしもみんが「この世界に住む人はみんな同じような心を持っている」と言う事を知り、何かをする時、「自分の今しようとしていることは、果たして正しいことだろうか。もし、他の人が自分にこのことをしたら自分はどう思うだろうか。」と考えることができたとしたら、人間も成長したものです。自分の嫌がることは人にせず、自分の喜ぶことは人にもすることが肝心です。

菩薩の徳として、四摂法(ししょうほう)があります。仏道に励む菩薩には、布施、愛語、利行、同事の四つの徳が備わっています。第一の布施(ふせ)は、他の人の必要とするものを与えること、第二の愛語(あいご)とは、優しい愛情深い言葉をつかうこと、第三の利行(りぎょう)とは、他を利する行いをすること、第四の同事(どうじ)とは、他人と一体感を持つことです。大乗仏教に於いて、菩薩とは仏道修行に励む人のことですから、すなわち私たち仏教徒のことです。信仰が深まるにつれて、四つの徳は自然と私たちにも備わってきます。

宗教では、内にわが身を省りみる反省と、外に向かって働きかける精進の二つの面があります。ただ反省するだけなら宗教は弱々しく力のないものですが、進んでよのために尽くそうという精進の心があるところに、宗教の良さと強さがあります。力のなさそうな私たちでも、信仰の力により案外大きな仕事ができるところに、信仰の不思議があります。信仰とは、誠に偉大な力を持っています。どうか、信仰を益々深め、言行をつつしむと共に進んで奉仕活動に参加する人になるよう努めましょう。


第五十七話   笑 顔 と 人 生

二、三日前だったと思います。面白いことを聞きました。「街を歩いていて、ニコニコ笑顔をしているのは黒人だけで、白人も日本人も何か大きなツラブルでもあるようなむつかしい顔をして歩いている。黒人は大手を振り、口笛の一つも吹き、朗らかそうに白い歯を見せて歩いていくが、白人や日本人は、顔にたてじわを寄せ、笑顔が全然見えない。」というのです。白人は、日本人より明るい人が多く、今の言葉は少し言い過ぎかと思いますが、しかし、全然間違っているとは云えません。確かに黒人の方が朗らかそうです。白人や日本人は人種上の排斥もなく、全体的に経済力も良いのに、何故か笑い顔が少ないようです。笑うひまがない程いそがしいのか、それとも笑えない程つらいことがあるのでしょうか。

歌を歌わないカナリヤの値打ちがないように、人も笑顔を忘れては駄目です。何もとくべつ面白いこともないのに、時と処をかまわずゲラゲラ笑うのは間抜けか馬鹿ですが、特別深刻な問題もないのに笑顔を見せないのもどうかしています。「笑う門( かど )には福来る」のことわざの通り、笑いのあるところ幸せがあります。笑いと笑顔は確かに、その人にも、その周りの人にも幸せをもたらします。泣いて暮らしても、怒って暮らしても、笑って暮しても同じように時間が過ぎていきます。泣いたり怒ったりする時は、人を心配させることが多いのにくらべる時、笑う事が出来る人はどれほどか幸せ者だと思います。「ほんに思えば浮世は鏡、笑い顔すりゃ笑い顔」という川柳がありますが、まことに良く考えてみると、この世の中は私たちの見方によって、楽しくも見え、反対に苦しみにも見えるようです。

仏教では、和顔愛語( 輪玄愛護 )と言って、おだやかな顔や笑顔で接する事を教えています。自分の好きな人や気の合う人には優しくしえも、きらいな人に和顔を持つことはむつかしいことです。この和顔は、知らない人に及んでこそ、本当の和顔です。今にも噛み付きそうな顔よりは、優しい笑顔の良さは誰も知っている事ですが、いざ実際となると案外していない人が多いようです。

文化が進みすべてが便利になり、住みよい世の中になってきたのに、肝心の私たちの心がそれについて進まなかったら幸せは来ません。この世のすべては努力です。努力なくして良き結果を得ようとしても無理なことです。苦しみ悩み多いこの世で、笑顔をもつことは難しいことです。しかし笑顔が、自分や他人に対して及ぼす利益の大きさを考え、努めて笑顔をすることが大切です。もうすぐお盆です。目連が、母をなくした悲しみの中にも、仏さまの救いの中に慰めを見出し、それを喜び感謝したのがお盆の始まりです。誰もひとりでに笑いが飛び出すほど幸福な人はいません。悲しみの中にも目連が笑顔を見出したように、わたしたちも苦しみ多い世の中でも、和顔愛語の教えに従って笑顔を忘れないようにしましょう。


第五十八話   か ま ど 弁 慶

暦の上では、今日二月四日は立春とはいえ、まだ当地はなかなかの寒さが続きいています。昨日二月三日は節分でした。節分の節は季節、分は分かれ目といる意味で、寒(感)が明けて春がまもなく訪れるという訳です。節分といえば、きっと皆さんは子供の頃、「福は内、鬼は外」と豆まきをしたことを思い出されるでしょう。同か福は内に、幸せは自分の家に来て、鬼は外に、不孝はきてほしくないと望む日本の習慣の一つです。人間は誰もみな幸福になりたいと思う人ばかりです。しかし、ここで考えなければならない事は、自分が幸せになりたいと思う余り、人の不幸には平気でいるという態度です。弱い者いじめもその一つです。

皆さんは「かまど弁慶内弁慶」という言葉を知っておられるでしょう。小学校、中学校の頃、姉とよく兄弟げんかをしました。学校からかえると、早速始めたものです。外ではけんかして負けて、度々泣かされて帰りましたが、家では負けたことがありません。全戦全勝でした。「義明は、女の弱い者いじめをするから、かまど弁慶だ」と母からよく言われました。甚だ不名誉な話です。

弁慶とは、京都の五条の橋の上で、長いなぎなたを振りかざして牛若丸と勝負をして負けた人で、歌まで作られています。このことから、外に出ると小さくなるが、家の中や弱い者の中では大きな顔をして威張りちらす人は、かまど弁慶とか内弁慶といわれるようになりました。小さい間なら愛嬌があるとでも言って、大目に見逃す事ができますが、物事がよく分かる大人が、弱い者いじめをする程みにくいものはありません。人前では借りてきた猫のようにおとなしくて、いかにも善人のような顔をしながら、裏にまわって怖いものなしになると、みにくい根性を振り回すのは、本当に卑怯なやり方です。勝つ事が分かっていながらいじめるのは、臆病者のすることであり、本当に勇気のある人のすることではありません。それは丁度、大人が小さい子供に喧嘩をふっかけるようなものです。大人が勝つのが当たり前であり、たとえ勝っても誰も偉いとは思いません。反対に、力なき子供をいじめるその大人の値打ちが下がるだけです。

私たちはみんな友達を持っていますが、果たしてどの人に対しても温かい気持で付き合っているでしょうか。反発も出来ない人に、意地悪をしていあにでしょうか。親戚の中でも、経済的に恵まれない人を違った目で見てはいませんか。自分より目上の人や勢力のある人にはへつらい、自分より目下の人には威張るという態度は、正しい事ではありません。弱きをみれば助けるのが人の道であり、これと反対に、弱気を見てこれになお危害を加える事は人の道をはずれています。弱い者いじめを、当たり前の事としたり、楽しんだりする事は罪悪です。仏教の精神は慈悲です。弱い者いじめは、慈悲とは少しの関係もありません。私たち仏教徒は、この慈悲の精神を実践し、弱き人にはいたわりと温かい心をかけようではありませんか。そして、内にも外にも福が来るようになってほしいと思います。


第五十九話   悪 人 の 自 覚

「他人の喧嘩と火事は大きいほど面白い」といいます。この間も、このことについて話が尽きず、「まったく人間は勝手なもので、他人のことになると平気でひどいことを言うものですね」と話していたのですが、この一つの事からも、人間が如何に罪深いかが分かります。自分がけんかをしたり、自分の家が火事になれば、笑い事ではなく一大事ですが、たにんのことになると重大事件も不幸も平気でいて、しかも、これを見て喜ぶと言うのが私たち人間のありのままの姿です。聖典の中に、人間は罪悪深重の凡夫であるといわれたのも、まことにその通りだと認めざるを得ない私たちであります。自分可愛さのためには他人はどうでもよいと、当り前に考えている人の多いこの世の中は、乱れた末法(まっぽう)の世の中だなあと感じさせます。

姿、形、服装、顔の化粧を直すには、鏡が必要です。昔の女の人は、鏡を女の宝として大事にしたものです。鏡なくしては正しく装うことはできません。姿や顔と同じように、私たちの心を正しく保つためには鏡が要ります。心をうつす鏡が仏さまです。今の世の中には、この心の鏡を持たない人が多いようです。仏さまの前で静かに胸に手を置いて、自分をながめて反省する時、誰しも、欲(食、性、睡眠、財。名誉) 多く、煩悩(むさぼり、いかり、ぐち)深き自分を見出すことでしょう。でも、それでよいのです。鏡は、自己の汚い姿を映すためにだけあるのではなく、汚い姿をきれいな姿に直すためにあります。今まで気付かなかった自分の欠点に気がついて、やがてはそれをなくしようとする気持も湧いてきます。

仏様の鏡に自分の数々の欠点が映り、「こんな私では、仏の救いには縁がない」と思う時、実は仏の救いに一歩近づいているのです。「松蔭の暗きは月の光かな」の句の如く、月に照らされた松の木の蔭が濃ければ濃いほど、それは月の光の強い事を示し、わが身の弱さや欠点が目に付けばつくほど、それは仏さまの救いの光が強いからだと解釈すべきです。私たちが高慢の心を折り曲げて頭を低く下げる時、実は仏の慈悲にふれることができます。「散る時が、浮かぶ時なり蓮の花」という歌も、やはり同じことを言っています。歎異抄にも、「仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごときの我等がためなりと知られて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」と言って、煩悩深き身ながらも、救われていくわが身の幸せを喜んでいます。

浄土真宗は悪人正機の宗教です。悪人こそが仏さまの救いの対象、救いの目当てであると教えます。何と宗教的な教えでしょう。すべての人が仏さまの前には謙虚になり、頭を低くして、「私こそ悪人でございます」と我が身を反省しようとする態度は、何と尊いものでしょう。そこには、人との争いの元となる高慢心は微塵もなく、ただ反省と、それと同時に、   この悪人目当ての弥陀の救いに対する感謝あるのみです。両手を胸に合わせて合掌する姿は、この世の中で比べるものがありません。人間のなし得る一番美しい姿ではないでしょうか。合掌のあるところ、そこには平和な家庭、平和な世界が訪れます。

たいていの人は、自分が悪い事に気付かずに、自分こそは正しいが他の人が悪いと思っています。しかしながら、信仰が深まるにつれて他人の欠点よりも、我が身の煩悩の深さへと見方が変わってきます。反省する心が出てきたのです。人間らしくなってきた証拠です。宗教では、後退がそのまま前進です。悪人正機の教えを聞いて、自分こそ実はお救いのなかにある身だと気付かせていただいたことを感謝しましょう。「極重悪人唯称仏、我亦在彼摂取中」(極重悪人よ、ただ仏の名をとなえよ。、我もまた仏の摂取の中にあり)と、正信偈に親鸞聖人は言っています。


第六十話    私 の 夢

私の希望、私の夢は老人ホームを建てることです。一生かかっても、どうかして建てたいと思います。身寄りのない人や、年取った人が楽しく余生を送って下さる場所をつくってみたいと思います。

私の少年時代のあこがれの的は野口英世でした。幼いときに父をなくしながら、よく医学を学び、アフリカに渡って熱病の治療に専念し、やがて自分がそれに感染し、異国アフリカで死んだ彼の精神に打たれたからです。小学校唱歌の「磐梯山」は私の愛唱歌です。

     1、   磐梯山の動かない姿にも似たその心、
          苦しい事が起こっても、つらぬきとげた強い人

     2、   やさしく母をいたわって、昔の師をば敬まって
          医学の道をふみきわめ、 世界にその名あげた人

     3、   波路も遠いアフリカに 日本のほまれ輝かし
          人の命を救をうと 自分は命すてた人

日本では、この野口英世が誰よりも好かれているのではないでしょうか。小学校四年生のときに彼の伝記を読んだ時の感激がまだ忘れられません。身体障害があるにもかかわらず、苦学力行の末によく身を立て、やがては人類の福祉のために倒れたこの野口英世は、今でも私のあこがれの的です。この人に比べると私は誠に小さな存在です。しかしながら、私は私なりにわずかなりとも社会に貢献する人間になりたいと思っています。

私の父は、私が生まれて四時間後に亡くなりました。余りにも早く死んでしまったので、私たちには大きな打撃でした。小学校に入る頃には、財産はもう何一つありません。銀行には縁がなく、母が銀行に行ったのを見たことがありません。ずいぶん貧乏しました。欲しい物も買ってもらえず、ひとりでに欲しいと思うことを忘れた人となりました。しかも時代は軍国主義華やかなりし頃で、随分不自由しました。太平洋戦争が始まり、食糧事情が悪くなり、食べるものがなくなって百姓もしました。学校から帰ってたんぼに行き、稲刈りも草取りもしたし、肥料もやりました。母ががんばってくれたお蔭で、やがて中学校にも高校にも行くことができました。女の細腕一つで洋裁をしたり、百姓をしたりしてよくも育ててくれたものと思います。自分は芋を食べて、私と姉のお昼弁当には御飯を入れて、学校に行かせてくれたことを思うと胸がつまる思いがします。終戦後、母は渡米してシアトルに来ましたが、働いて学資を送り、大学を卒業さしてくれたのも母でした。やがて私は開教使になって渡米し、アメリカの大学を卒業したいと思い、仏教会に席をおきながら、学資を稼ぐために白人のお店に働いたり、庭仕事でガーデナーをしたり、日本語を教えたりしましたが、日本での母の苦労をおもうと、物の数ではありませんでした。随分いろんなことが起こりましたが、今から考えると、どうにかよくもやってきたものだと思います。これもみな「おかげさまを」です。母をはじめ、沢山の方々のお蔭です。

アフリカの聖人といわれ、今でもアフリカの奥地で活躍しているアルバート・シュワイツアは、もうキリスト教の説教はしないが、キリスト教を実践している人だと言われています。私も、出来れば一日も早く、仏教の説教をするのをやめて、仏教の教えを実践する人になりたいと思います。私が老人ホームを建てたいというのに荷は、こんな訳があるのです。いつ、この私の夢が実現するかは、全く見込みがありません。しかし、いつか必ずやり遂げたいと思います。私を育ててくれた人々のために、社会のために、お礼返しをしたいと思います。老人ホームは私の一生の夢です。


第六十一話   鏡 の 中 の 自 分

私達は、日常会話の中で仏教のことば「業 (ごう)」を 、「自業自得」「業が深い」「業が湧く」など、知らず知らずのうちに使っています。業(ごう)とは、仏教的な読み方で、普通に読めば「わざ」です。じぶんのわざ即ち行いにより、自分がその報いを受ける事が業(ごう)です。過去現在因果経にはこのことを、次の如く述べています。

     前世の因を知らんと欲せば、即ち今世に受けくるところのものこれなり。
     後世の果を知らんと欲せば、即ち今生になすところのものこれなり。

善因善果、悪因悪果は仏教の鉄則です。善きことは善き結果を生じ、悪きことは悪き結果を招くと信ずるのが仏教徒の信条です。悪はしばらくは栄えても、必ず滅びゆくものであり、善は最後には栄えゆくものです。このことをよく知りつつも、私たちは行うべき善を行わず、避けるべき悪を楽しんではいないでしょうか。法句経に釈尊は、「愚かなるものは、己れに対して敵仇(かたき)の如くふるまう。悪いき業(わざ)をなして、にがき果実を結ぶなり」と言いましたが、このことばは他人事ではないような気がします。自分のまいた種は自分が刈らねばならぬと知り、また自分ほど可愛いくて大事なものはないと知りながらも、悪い行いをして悪い報いを得て、自分を自分の仇のようにいじめているのが私たちではないでしょうか。

空に向かって唾を吐く如く、業の報いは結局自分の上に降りかかってきます、笑い顔して鏡に向かえば、鏡の中の自分も笑い、怒った顔で鏡を見れば、鏡にはやはり怒った顔が写ります。腹立ちまぐれの怒った顔、意地悪顔、人をねたんだ顔をして鏡を見ても、優しい顔や笑顔は写りません。業(ごう)もまた鏡と同じです。良いことには良い報いが、悪い事には悪い報いがやってきます。そのむくいには、少しのくるいもありません。他人を殴り飛ばして、すまし顔をしていられません。殴った人の上に必ずそれ相当の報いがやってきます。人を殴り飛ばすのは、私たちの手ばかりではありません。私たちの口や心が、どれほど人を傷つけるかは想像以上です。ポテトを植えてアニオンはできません。悪の種をまいて善の実を取ろうとしている人がいないでしょうか。これは、因果の道理からはずれています。ポテトからはやはりポテトができ、アニオンのたねからはやはりアニオンができます。人をだましたり、いじめたり、憎んだり、約束を破ったり、悪口を言ったりして、人を不幸にする人は自分もまた不幸になります。私達はお互いに自分が誰よりも可愛いのではないでしょうか。その大切な自分を粗末に扱ってはいないでしょうか。自分で自分を滅ぼしてはいないでしょうか。

他人を傷つけることは、自分自身を傷つけることです。何故ならば、他人にすることがそのまま返ってくるからです。生まれがたい人の世に生まれて、無駄な一生を送りたくはありません。自分で自分の仇をつくりたくありません。戦に出て千人の敵を切ることが出来ても、自分ひとりの心の誘惑に打ち克つことは容易なことではありません。でも、私たちが本当に自分のためを思うならば、自分の心の悪を抑えなければなりません。人を攻撃し手、人も自分も被害を蒙るかわりに、教えに従って他人には親切にし、理解深く、和やかな顔をし、優しいことばを使いたいと思います。それこそが、自分を真に愛し、同時に人を愛する道です。法句経の、愚かな人は己れに向かって己れの固きのごとくふるまうと言う言葉は、もっともっと真剣に考えてみるべき言葉だと思います。


第六十二話   大 衆 の 仏 教

今日五月二十一日は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の誕生日です。一一七二年五月二十一日に京都にてご誕生になりました。釈尊入滅後千六百年して生まれられました。仏教の教義を学んだ親鸞は、当時の仏教が余りにも複雑な事に気付き、どうしても簡易化の必要を感じたのでした。ほとんどの人にとって、八万四千の法門は余りにも多すぎるように思えました。そこで、親鸞は従来の仏教とは全く異なった浄土真宗を興して。仏教の再編成に努めました。

最近の統計によると、浄土真宗には二万二千四百九十一の寺院、四万五千五十一人の僧侶、約二千万人の信者を持っています。日本中どこへ行っても、真宗寺院のないところはありません。アメリカ本土、ハワイ、カナダ、南アメリカ等に二百七の海外寺院も持っています。ごく最近、西ベルリンとオーストリアにも真宗寺院が建てられたとききました。

多くのアメリカ人が、「三回となえる文句の意味は何か」とたずねます。放送の終わりに言う「南無阿弥陀仏」のことなのです。南無とはサンスクリット語 NAMAS の音訳です。阿弥陀も同じくサンスクリットの音訳で、無量の光明 AMITABHA と無量の寿命 AMITAYUS という意味があります。光明は智慧を、寿命は慈悲を表しています。仏(物)もやはりサンスクリット語の音訳で、悟った人 BUDDHA の意味です。ですから、南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏の智慧と慈悲に帰依し感謝するという意味です。浄土への再生と永遠の生命は、阿弥陀仏により恵まれると信じています。いかに不完全で煩悩深しといえども、阿弥陀仏は必ず私たちを救って下さいます。ほとけの慈悲は常に私たちと共にあり、救いをお願いする必要はありません。ただ一つ私たちのすべきことは、ほとけの救いに信仰を持ち、仏の慈悲に感謝することです。親鸞聖人により、今まで一部の人に限られた貴族階級や知識階級に信仰され、ていた仏教は、一般大衆の宗教にと変わりました。阿弥陀仏の愛と慈悲を私たちに知らせて下さったこの偉人親鸞聖人のご誕生を、今日はみんなでお祝いしましょう。


第六十三話   黄 金 律

今晩はゴールデンルール黄金律についてお話致します。人間関係には、ある一定の法則があり、黄金律はその根本をなすものであって、時、所、人種、信仰、国籍の如何を問わず、常に私たちのよりどころとなってくれるものです。私はサクラメントで買った木の額を持っていますが、それには「相手に汝がして欲しきが如く、汝は他の人に対して行なえ」という意味の言葉が入っています。これが、いわゆる黄金律と呼ばれているものです。

さて、この黄金律は幾世紀に亘り多くの人々より呼び続けられた言葉です。西暦紀元前六世紀、中国に於いて孔子はその著、論語に「己れの欲せざる所は、人に施すなかれ」と言いました。イエス・キリストは聖書マタイ伝にある如く「さらば、凡ての人に為すされんと思うことは、人にも亦その如くせよ」と二千年前、人々に向かって叫びました。釈尊もまた、サンミュッタ・ニカーヤ経に「人の思いはいづこにも行くことが出来る。然し、いづれに赴かんとも自身より愛しき者を見出す事は出来ない。他の人にとっても、やはり愛しきは自身である。されば、自己を愛する者は他の人を傷つけてはならない」と二千五百年の昔、インドの人々に説きました。

これらの人達が言った事が、いづれも皆同じであるということは興味深いことです。同じことを表から或いは裏から或いは違った角度から言っているのです。これらの先人が教えてくれた変わらざる真理は暗唱して、脳裏に深くとどめておく価値があると信じます。このゴールデン・ルールは、幾世紀にわたり幾百億の人々によって試験済みであり、誰も変えることができなかった真理です。この道徳律を行う人のまわりには、どこにも幸せが訪れます。これは、すべての人に幸せを与えるものだからです。デール・カーネギーは、人といかにうまく付き合うか、いかにして人を動かすことができるかを教えるため、この黄金律を演説の講義にくる学生に教えています。

誰も自分にして欲しい事を他人にし、自分にして欲しくないことは他人にしないと言う事が大事であるといことは知っています。問題は、「あなたは、その通りにしていますか」ということです。生まれて以来、先生も親も友達も良いことをしなさいと教え、悪い事をしなさいとは教えませんでした。もしもみんなが教えられてきた通り、ゴールデン・ルールを守るならば、この世界は極楽世界であり憎しみ、闘争、不正、妬みなどは在りえないはずです。然し、実際はこの真反対で、ゴールデン・ルールに従うことが如何に難しいかを物語っています。残念なことは、難しいからといって、半分あきらめて自己の最善を尽くしていないことです。

九月は秋のお彼岸の月です。六波羅蜜の教えを考える月です。みんな、毎日の生活の中でゴールデン・ルールを行うよう努めようではありませんか。「相手に汝がしてほしきが如く、汝は他の人に対して行なえ」を常に忘れず生活しましょう。


第六十四話   鐘 が 鳴 る

二十一世紀世界博覧会は、ついに先月開幕され、今年中に一千万人の人達がシアトルを訪れると予想されています。先週水曜日、五月十六日は「神戸の日」でした。神戸とシアトルは姉妹都市の関係にあるため、この日が計画されたのでしょう。原口神戸市長がシアトルを訪問し、シアトル市へ「神戸市民の善意と友情のしるし」として梵鐘(ぼんしょう)を贈呈しました。重さ一トン、直径一メートル、高さ一、七メートルのこの鐘は、日本のお寺に行けば会期中、どこにもある典型的な梵鐘です。博覧会会場にに備え付けられたこの梵鐘は、会期中に多くの人の人に目をひくことでしょう。

仏さまの教えと同じように、鐘の音は四方八方に響き渡り、障碍を飛び越えて多くの人にとどくために、鐘は仏の教えの象徴と考えられてきています。又、鐘の音は仏さまの「お声」だとも言われてきました。鐘はただそこにあるだけでは、あまり値打ちがありません。誰かによって撞かれ、打たれる時、鐘は鐘としての意義があります。仏教は、一世の人々によりこの国へ伝わってきました。多くの困難にもかかわらず、一世はよく鐘を打ち鳴らし、現在のアメリカ仏教の基いを築きました。しかし、これら誇りあるいっせいは、引退期に入り、これ以上あまり期待することは無理に思える今日です。誰かが一世の後をつがねばなりません。一世に代わって誰が立ち上がり、金をつくのでしょうか。それは貴方の仕事です。二世、三世がこの責務を持たず、ほかに誰がやってくれるのでしょうか。

鐘を撞くことは、ほかでもなく、仏教を実践することです。仏教を実践する事は、この人生を正しく明るいものにするために、毎日の生活の上に行うことです。日常生活を離れて仏教はありません。私たちのあらゆる行動の規範が仏教です。六波羅蜜、八正道に従い行くのが仏教徒の生活です。如何に罪深くとも、命の尽きる時に仏の浄土に生まれ、永遠に滅びない命をいただくのだと教えられています。自分の死後のことに無関心の人は誰もいないでしょう。私たちの宗教は、一人残らず全ての人に、この永遠の幸せが及ぶと教えます。「救いが全ての人に及び、誰も救いから漏れない仏教の教えは、なかなかヒューマニズムの宗教ですね。」と白人は私に話します。死後の心配なき私たちは、全精力を現世の生活に集中できます。

宗教的に言えば、私どものするすべての事は、浄土往生を恵んで下さる仏さまへの感謝の行いです。やらされるのではなく、感謝に満ちて喜んでさせていただくのです。誰が鐘を撞くのでしょうか。それはあなたであり、私です。言葉と行いと心が正しい時、その時私たちは鐘を力いっぱい撞いていることになるのです。


第六十五話   蓮 の 花

仏教会運営資金募集のチャ―メン・ディナー夕食会の夜のことです。「誰かが聞きたいことがあるそうですから、すぐ本堂へいってください。」と伝言がきました。行ってみると、小学生四年生か五年生位の白人の子供がお内陣の前に立っています。この少年の知りたいのは、「何故、仏像は草の葉の上に立っておられるか。」い言うのです。仏像は、いつも見ているといっても、こんな細かい点に注意を払っていなかった私は、こんな質問を初めて聞いて、一瞬はっとして仏像を見上げました。なるほど、よく見ると確かに仏像は蓮(蓮)の葉の上にお立ちになっおられます。

中学校に通っていた時のことを想い出しました。彦根城のふもとにあるこの学校に通うには、お堀の側を通って行くのですが、そのお堀には蓮が沢山あり、蓮の葉や花を見るのは登校中の一つの楽しみでもありました。蓮は汚い泥の中に生えていますが、その花は実に美しく、清純なものです。仏さまと蓮の花には、どんな関係があるのでしょうか。美しい蓮の花は泥の中から生ずるように、仏陀はこの濁世(じょくせ)に生を受けながら、この世に美しさを与えた人でした。昨日、十二月八日は成道(じょうどう)の日、釈尊が悟りを開いて仏となられた日です。二千五若年前のこの日、長き勉学と思惟の後、インドの王子が悟れる人となられた日です。自分自身が仏になったばかりでなく、すべての人が仏になる事ができる道を見出された日でもあります。

普通使われている仏(仏)と言えば、亡くなった人のことを考えますが、今私の言っている仏は、悟れる人のことであり、この人こそ理想の人物です。釈尊は、私たちと何等変わらぬ一人の人間であり、人の子として生まれ、そして亡くなっていかれました。私たち仏教徒は、釈尊のみ跡を、日々従っていく者の集まりです。みんなの理想の仏途は、どんな人でしょうか。経典には、「仏とは、世界のすべての人の友である。もし仏、世の中に深く悩む人あるを見る時、同情の念を起こし、その人と共に悩みを分かつ。もし迷える人に会う時、智慧の光持て、その人の迷いを払う。」だから、仏とは救済のためには損得を考えず、世の中に喜んで飛び出していく人です。仏の仕事は人々を幸せにすることです。誰でも利己心を離れた行いを読んだり聞いたりする時、感動を覚えるものですが、こいうことこそ私たちがなすべき事です。幸福の鍵は、利己心を忘れるたところに存します。与える時、心は一番幸せになります。心の幸せなくして本当の幸せはつかめません。親が子に親のすべてをを与える時、子が親を喜ばそうと努める時、夫と妻が愛し合うとき、幸せはひとりでにやってきます。こういう時、ちょうど泥より生じた蓮のように、自己中心の心は陰を消し、幸せな社会が出来上がります。成道の日は、記念すべき日、釈尊が伝道宣言をされた日です。みんなで釈尊の教えに従い、世の中の蓮の花になろうではありませんか。


第六十六話  中 道   適 度 の 生 活

阿含経というお経の中に、次の話が伝わっています。億耳(おくに)という上流階級の一青年がお釈迦さまの弟子となり、悟りを開くため修行を積んでいました。昼夜の区別なく修行に専念し、足には血さえ流れていました。念願の悟りは得られず、あまりの修行の苦しさのために、弟子をやめて自分の家に帰ろうと思い立ちました。そして、自分の決心をお釈迦さまに伝えますと、釈尊には億耳の心の底まで分かっていたのでしょう、やさしく話しかけられました。そして釈尊と億耳の間に次のような問答が取り交わされました。

「億耳よ、お前はもと家にいた時、よく琴(こと)を弾いたそうだね。」
「釈尊よ、左様でございます。」
「億耳よ、琴を弾く時、琴の糸をきつく引き締める時に良い音が出るのか。」
「釈尊よ、あまり強すぎては良い音はでませぬ。」
「億耳よ、では糸をゆるくしたら良い音が出るのか。」
「いいえ、出ませぬ。」
「億耳よ、では、強すぎもせず、弱すぎもしない時、緩急よろしきを得た時はどうか。」
「釈尊よ、その時こそ、良い音が出ます。」
「億耳よ、仏道を修行するのもこれと同じである。修行も度を越すと無理ができて、悔やみの心が起こり、修行が足らないとなまけ心が出てくる。この故に、ちょうど琴を弾く時のように、これからは度を越さずに仏道修行を続ければ、やがて悟りが開けるであろう。」

この後、億耳は釈尊の言葉に従って教えを励み、遂に悟りを開いたのでした。この話は、有名な「弾琴の喩」(だんきんのたとえ)と言われるもので、他でもなく仏教徒の生活は中道(ちゅうどう)であることを教えたものです。中道とは、極端を離れた道だという意味です。

さて、この中道とは、現代の言葉で言えば何でしょうか。私は適度という言葉が一番良いのではなかと思います。この世の全てのものには程度があり、その程度を越すと害が出てきます。仕事をするとしても、食べもせずに仕事するのは長続きしませんし、また反対になまけ心をもってブラブラするのでは仕事になりません。勉強するのは結構ですが、自分の体を駄目にしてまで机に向かうのは利益がないし、また反対に遊んでばかりで少しも勉強しないのは話になりません。人にものをあげるのは誠に結構ですが、そこにも限りがあります。やはり、中道が大切です。

琴の糸が張りすぎていては、切れる心配もあり、又良い音が出ません。仕事も勉強も施しも、程度を超えては長続きしません。琴の糸がゆるんでいては良い音のでる筈がありませんし、仕事も勉強も施しも名ばかりでは何の利益もありません。ちゅうどうとは、この中間であり、長続きのする適度の仕事、勉強、施しです。もしも、侵食を忘れて仕事や勉強や布施をできたら、それに越した事はありませんが、人間はそのようにできていません。したくてもできないのです。そのような私たちにできるのは、一段下の中道です。無理のない程度に、何事もできるだけ一生懸命にする態度が中道です。中道は、中の道と書いても、中(中)ブラリンのたるんだ生活ではありません。琴の糸が適度にピンと張られて良い音を出すように、中道とは充実した意義ある生活です。

億耳は張りすぎた琴の糸のようでしたが、私たちの生活は、ともすれば糸のゆるくたるんだ琴のように、何事につけても欠点が多く、なおすべきことが多いのではないでしょうか。中道が仏教徒の正しい生活態度です。まだまだ足らない事が多く、糸のたるんでいる私たちは、大いに努力精進して少しずつ糸のたるみを取っていくことが必要です。


第六十七話   あ る 一 世

昨日、ある一世のご家庭を訪問したら、「先生、これ一つよばれて下さい。」とケーキを出して下さいました。話をきくと、丁度昨日はその夫婦の娘さんの誕生日ですが、その娘さ んはニューヨークに住んでいてお祝いできないから、せめて気持だけでも娘と一緒にと、ケーキを作りハッピーバースデーを歌ってお祝いしたそうです。写真がテーブルの横に飾られていました。「ああこれこそ親子の情のこもったいいことだな」と心を打たれました。わが子を思う親の気持が満ち満ちている感じがしました。姿が見えないから、せめて写真でも見てというこの親の純な気持ちに心をひかれました。はるか遠くに住む娘さんにも、きっとこの親の気持は通じただろうと思いました。さぞかし良い娘さんでしょうが、親も立派です。

アメリカという大きな国に住み、その上、太平洋戦争のために、以前は太平洋岸に固まっていた日本人が、今では大西洋岸まで散らばったために、我が子と遠く離れて住む一世の方々も多くなりました。きっと、あなたの子息も遠くに住んでおられることと思います。交通は便利になったといっても容易に顔を合わすことはでせきません。いくら会いたくても時間と経済がゆるしてくれません。仕方なく、母の日が来ても、父の日が来ても、誕生日が来ても、クリスマスが来ても、心にかけつつもお互いに別々にその日を送らなければ鳴りません。さびしいことです。

しかし、どうでしょうか。この一世のように、たとえ体は離れていようと心が一体であれば、さびしいながらも温かみがあります。お互いの真実が通う時、距離などは問題ではありません。深い愛情は、相手との距離が遠くなればなるほど、益々強くなるといわれています。ともすれば、「遠い親戚より近い友達」の諺の通り、遠くに住む親戚は縁が薄くなることが多いのですが、本当の親子の愛情は子供が遠くへ行ってしまったから薄くなるというものでってはなりません。遠くへ行ってしまって会えないから余計に会いたい、余計に気に掛かるのが親と子の気持です。結婚して遠くへ行った娘の誕生日を祝う一世夫婦の話は、何でもないことかもしれません。子供っぽいという人があるかも知れません。子供はいくら大きくなっても子供であり、親は何時までも親です。そして、親とこの心は、いつまでもどんな事があっても変わるものではありません。

遠くに住む娘の誕生日を祝う一世の気持は、本当に尊いものです。私はこの一世夫婦から何かとても大切なものを教えていただいたように思いました。年をとったら、これからは子供の世話になるだけというような考えを持たずに、これからも益々良い親になるように努めて下さい。子供の幸せを祈ってください。親はあくまで、子供のために尽くしてこそ本当の親です。


第六十八話  見ざる 云わざる 聞かざる

毎年、何万という人が日光を訪れます。「日光を見ずして結構と言うな」の諺通り、日光の人工美はまことにすばらしいものです。華麗な神社、仏閣、特に東照宮の陽明門は有名です。目を見張らせる建物の装飾、絵画、彫刻など、旅行者を楽しませてくれます。日光に行き、まず誰もが立ち止まるのが、木で彫られた三匹の猿「見ざる、言わざる、聞かざる」です。第一の見ざるは、目を手で覆い、第二の言わざるは口を押さえ、第三の聞かざるは手で耳にふたをしています。

アメリカ人は、この三匹の猿の表現を、「悪きを見ず、悪きを言わず、悪きを聞かず」と、言い表します。大変面白い解釈だと感心します。もしもこのように、悪きを見ず、悪きを言わず、悪きを聞かなかったならば、この世は日光と同じように美しいことでしょう。然し、現実は多くの悪を見たり、言ったり、聞いたりしていて、時には自分にも他人にも全然益にならない事を見たり、言ったり、聞きたがったりさえします。新聞、テレビ、会話の中で、お釈迦さまが悪いといわれることに、ともすれば心をひかれています。釈尊は「見ざる、言わざる、聞かざる」の他に、もう一つ大切な教訓を与えて下さいました。それは「せざる」でした。

二千五百年前、釈尊はこの世の数々の悪を見て、それらを取り除く道を教え、悪はただ不幸をもたらすと説きました。もしも、真の仏弟子として自分と他の人々の幸せを考えるならば、目と口と耳から覆いを取り除き、教えに目を向け、教えを話し、教えを聞くようにすべきです。いつも仏教は、「してはいけない」ということだけ教えると思ってはなりません。八正道や六度は「しなさい」という教えであり、「してはいけない」という教えではありません。ただじっと坐っていたり、何もしない洋では進歩がありません。良き理想と夢は、精神生活を豊かなものにしてくれます。法句経の有名な言葉、「あしきをなさず、良きをなし、心を浄くする。これこそほとけの教えなり」から分かるように、釈尊は、「」してはいけない というだけでなく、「しなさい」ということも忘れず言っておられます。善樹をなし、悪きをしないというこの二段階により、私たちは少しずつ悟りへと近づいていくのです。だから、悪には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿のように見ず、言わず、聞かず、反対に善には手を取りのけて善を見、言い、聞くようにしようではありませんか。


第六十九話  意 義 あ る 仏 壇

仏教の強さは、仏教を信ずる仏教徒の家庭に仏壇のある事だと言われています。朝起きてから夜床に就くまで、常に仏さまと共にある生活こそが、仏教の美点であり、強さの根源だと思います。然し、この家の宝であるお仏壇に、ちりとほこりがたまっていませんか。ぶつだんとは名ばかりで、お掃除もせずお供えもしない家庭が多いのではないでしょうか。又せっかく立派なお仏壇があっても、飾っておくだけで毎日一度もおまいりしない家はありませんか。宝の持ちぐさりになっていないでしょうか。

仏壇は心静かに頭をたれ、両手を合わせて合掌するところに、初めてその値打ちがあります。立派な大きなぶつだんでなく、たとえ小さな仏壇でも、真心込めて合掌する時、計り知れない大きな功徳が生まれます。仏壇の値打ちは、そのサイズの大きさではなく、私たちの心次第で決まります。

平安時代までの日本仏教は、学問知識や身分のある一部の人に限られていましたが、今から約八百年前の鎌倉時代に入ると、法然(法然)上人、栄西(英才)禅師、道元(どうげん)禅師、親鸞(親鸞)聖人、日蓮(日蓮)上人など日本仏教史上に異彩を放つ偉人が相ついで出て、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗が生まれて、ここに仏教は一般大衆の仏教となりました。中でも、浄土真宗は、今まで仏教が伝道されていなかった農民や一般市民を対象に積極的な伝道を始め、在家仏教とさえ呼ばれるようになりました。在家仏教とは、出家仏教に対することばです。非僧非俗、僧俗一体を旗印とする浄土真宗は、一般大衆の仏教、私たちの仏教なのです。だから、真宗の家庭では、在家に人がみんなでお経をよむのが常となりました。

私が子供の頃、日本ではどの家も一日に少なくとも一回、夜におつとめをしておられましたが、今はどの位がしておられるのでしょうか。私の前の家が、ご夫人が亡くなって毎晩ご主人から子供さんまでが正信偈(しょうしんげ)をとなえておられたのが印象に残っています。朝夕の勤行(勤行)には、正信偈を唱えるのが普通ですが、一番短い重誓偈(じゅうせいげ)はいかがでしょうか。これなら五分間です。いくら忙しいひとでも、これ位の時間ならあるでしょう。朝と晩の二回、仏さまにおまいりして、自分が今日ある身を感謝しましょう。お経と同時に朝には「朝の歌」を歌い、夜には「夕べの歌」を歌っては如何でしょうか。すがすがしい朝の一とき仏前に合掌し、今日も一日元気でがんばりますと誓い、夜にはお蔭で今日も一日無事に済みましたと感謝することは何と良い事でしょう。

  「朝の歌」
   朝な朝なにみ教え仰ぎ 浄(きよ)きつとめにいそしむ我等
   朝な朝なにみ跡を慕い 淨き思いを語ろう我等
   朝な朝なにみ悟り讃え 浄き心を養う我等
   恵みあふるる尊き一日(ひとひ)今日もささげん我等の生命(いのち)

  「夕べの歌」
   静かに暮れゆくこの夕べ 鐘がなる 鐘がなる
   世の悩みをつつみて 鐘がなる 鐘がなる
   聞けよ目覚めよ同朋よ 鐘がなる 鐘がなる
   今日の感謝と幸福の 鐘がなる 鐘がなる

ハーバード大学の教授でありアメリカの代表的な心理学者のウイリアム・ジェームズ博士は、「動作は感情の跡に起こるように思えるが、実際には動作と感情は同時に起こっている。だから愉快さを失った時は、あたかも愉快であるように行動したり話していると、愉快になることができる。」という興味深い学説を発表しました。これは、ことばを変えて言えば、はじめは難しくても、努めて人に親切をつくせば、やがて本当に親切な心の持ち主となり、また初めは気は進まなくても、つとめてお仏壇におまいりすれば、信仰も深まり報恩感謝の念も厚くなるということです。勤行(ごんぎょう)という字は「つとめておこなう」と書きます。おつとめとも言われています。おつとめははげむ心がなければ続きません。秋のお彼岸を迎えるにあたり、私足しの心すべきは六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)ですが、今日は特に、第四番目の精進に注意を払いましょう。なまけ心を改めて、朝夕仏前に合掌し、お勤めをするよう努力精進いたしましょう。


第七十話    母 の 涙

私たちは、どうした因縁によってか、仏教を信じています。仏教を信仰するのは、お金を儲けるためでも、名誉や地位を目的にしたものでもありません。一言でいえば、この生まれ がたい人の世に生まれ、人間らしい人間になるためです。お金や社会的地位が目的なら、ほかに方法があるでしょう。私たちの生活は、物質的な面と精神的な面の二つから成り立っています。物質的に恵まれないで幸福な生活はできません。たしかに物質は、なくてはならないものです。しかし、もう一方の精神的な面をわすれてはなりません。このふたつの調和がとれてこそ、初めて本当の幸せがやってきます。

イギリスの偉大なる物理学者のファラデーが、学生にある母親の涙を見せて精神生活の重要なことを教えた話を知っておられるでしょう。彼は試験管の中に一人の母親の涙を入れて、生徒たちに「この母親の涙を化学的に分析すれば、水分と塩分に分けられてしまい、どうしても母親の愛情は分からない。母親の涙の中には、わが子を思う母の親心がたしかに入っているはずです。」と教えたといわれています。物質的なことに重きを置くと、母親が我が子を思って流す涙も、ただの塩と水になってしまいます。ファラデーの逸話は、すべては物質で解決がつくと思う私たちに、大きな警告を与えています。私たちは母親の涙を見るとき、塩と水ではなくそこに母親の愛情をみることができるようにならねばなりません。もしもお金や物などの物質的なことばかりにとらわれていると、いわゆる、頭のスマートな賢い人になりますが、人間的な温かみのない冷たい人間になってしまいます。物質と精神の調和は非常に大切なことです。

冷たいにんげんの多い今の世の中で、精神的生活の重要さを教える事こそが仏教の使命です。この目で見ることができなくても、たしかに親子の情愛、友達の友情はあります。信仰を持てば、この普通見えない愛情や友情や親切が見えるようになってきます。心の目が開いてくるのです。物やお金があり、父母があっても、それに対する感謝の気持が無いのは悲しいことです。現代はあまりにも物質中心に傾きすぎて、愛情とか感謝とか親切とか友情ということがおろそかにされています。宗教とは、こういう私たちに、目に見えるものだけがすべてではなく、目に見えないものに対する価値を教えてくれます。宗教はこの大切な心を養ってくれます。

もしも宗教が無く、物質万能の世の中に住むとしたら、そこは何と恐ろしい世界でしょう。丁度、くさりを切られたトラやライオンのさまよう世の中です。でも幸いに私たちは仏教を信ずる事により、人の世のあり方を教えられ、精神生活の尊さを知らせていただきました。愛情深く、人情厚く、親切心大きく、感謝の気持ちにあふれる人こそ、私たちの望む人間像です。豊かな心の持ち主と言ってもよいかと思います。お釈迦さまの誕生を祝うこの四月に当り、釈尊の人格を偲び、この人にならって、より良い精神的生活を送りたいと思います。


第七十一話  ミシシッピー と 釈 尊

二千五百年の昔、釈尊在世の時代、インド社会は大きく婆羅門、貴族、農耕商、奴隷の四階級に分けられていました。閉ざされた社会であり、階級は各人の生まれにより定められた封建社会であり、奴隷(奴隷)の家に生まれた者はその人の能力とか行いが如何にすぐれていても奴隷として一生を送らねばならず、最上流階級の婆羅門(ばらもん)に生を受けた者は、どんな人でも婆羅門として一生を送った訳です。これが釈尊在世時代の社会的背景でありました。実際には全ての奴隷を解放することはできませんでしたが、釈尊はインドにおけるリンカーンでした。「人は生まれによって聖なるに非らず、生まれによって賎(いや)しきに非らず。行為によりて聖たり、行為によりて賤しきになる」と釈尊は主張しました。この人間宣言こそ、仏教が現在、世界の大宗教たる所以であり、今なお多くの穂との共感を呼ぶ根源となっています。

全国幾百万の人々と世界の人々の目は今、一人の黒人青年、ジェームズ・メリディスの上に注がれています。人種的背景の故に、そして、黒人なるが故に、ミシシッピー大学入学について強い反対があり、騒がれているのです。ある人は、この事件はアメリカ民主主義の危機であるとさえ言っています。外国からのニュースは、この事件に強い失望を示しています。すべての人は人種、国籍、宗教の如何にかかわらず、平等の機会と扱いを受ける事ができるというアメリカに住んでいます。そして、このことを語り、これを信じていますが、実際にこれを実行していないのです。自由国家の指導者として、私たちは良き模範を友好国の人々に示さなければなりません。お説教することは、自らも行なっていかなければなりません。どうすることもできない人種の違いの故に、その人を排斥する事は誠に恥ずかしいことです。人類互いに手を取り合っていくという兄弟愛に生きて、今こそフェアプレイとスポーツマンシップを見せたいものです。

人はその人の生まれによらずして、その人の行いにより評価しましょう。ミシシッピーの人種偏見が大多数のアメリカ人の意見であってほしくないと祈ります。アメリカを愛し、アメリカにぜったいの信頼をおいている私は、このアメリカに於いて、ただフェアプレイだけを見たいと切望します。私たちがいつも誇りにしているアメリカ精神と理想が、汚されるのを見たくありません。愛と理解が薄らいでいくところに、憎しみと排斥が広がっていきます。法句経の五十、五十一番を開いてみましょう。

  他人のよこしまを見るなかれ。他人のこれを無し、かれをなさざるを見るなかれ。
  ただ、おのれの何をなし、なにを無さざりしをおもうべし (五十)
  まこと、いろうるわしく あでやかに咲く花に 香りなきがごとく
  よく説かれたることばも、身に行わざれば その実なかるべし(五十一)

このたびのミシシッピー事件を後退への出発点とせずに、新しき時代への門出(かどで)とせねばなりません。あめりかは、自由の国、勇気ある人の国です。幼い子供は、何の人種偏見も持っていません。やがて大人たちから、この悪い癖を習います。だから、この排斥という悪い言葉を、まず大人の心と辞書からなくして、子供達に、また世界の人々にアメリカがどのように偉大な国であるかを示そうではありませんか。


第七十二話   東 は 東

一八八九年、ラドヤード・キプリングが、「東洋と西洋の歌」 The Ballad of East and West を書きましたが、この本はその全体の内容よりも、しばしば多くの人に今なお引用されている短い句のために有名です。 ”Oh, East is East and West is West. And these two shall never meet.” これを見て、東洋と西洋の一致が不可能と誤解している人も多いようです。数年前、ハリウッドは「東は東」という映画を作りました。

東洋が西洋と地理的に遠くへだたり、違った文化と伝統を持っていることは事実です。然し、科学の進化により世界意がだんだんと小さくなり、東洋とか西洋とかを区別するよりも世界うを一つのものとして、見るようになって来たことも事実です。二つの文化の違いは争いの元となるのではなくて、人類の平和と福祉の競争の刺激となってほしいと思います。西洋の精神生活を支配し、西洋文明に貢献してきたのはキリスト教であり、東洋文化のあらゆる部面に強い影響力を与えたのは仏教です。表面上、この二つの宗教は全く異なったものであり、「東は東、西は西」と言えるかもしれません。 然しこの二つの内面をみる時。その似ていることに驚かされます。共にすべての人に幸せをという共通の目的とゴールを持っています。外面は異なれど、内面は違っていません。

東洋に住んでいようと、西洋に住んでいようと、みんなははを持ち、母にツィしては同じ想いを抱いています。自分のために尽くしてくれた母の苦労に感謝し、母に幸多かれと今日の「母の日」に当り祈るのは共通でしょう。母に恩返しするのは、押し付けられて義務でするのではなく、「お母さんありがとう」と感謝する私たちの心の自然な姿です。母の愛情が分かる時、ただ「有難う」と言って、喜んで親孝行をさせていただくばかりです。ここには東も西もありません。「十億の人に十億のははあれど、わが母にまさる母あらめやも」と暁烏敏(あけがらすはや)師は詠みましたが、これは言い過ぎではなく、母にツィする心からの感謝の心からできたものと思います。

母の日のカードを買ってきましがが、それには私の言いたい事が入っています。「貴女の如きすばらしい母を持つ息子は、世界広しといえど沢山はないでしょう。だから幸せな母の日であれかしの願いを、感謝と貴女への愛の心をこめてお送りします」今日は、あなたもお母さんへカードを送られた事と思います。今日の母の日パーティの時、昨年ははを亡くした仏青会員が、お母さんの友達の人達へカーネーションを贈りました。自分はあげるべき母がいないからとて、母親の友達へと思ったわけです。「東は東、西は西」と思ったのは昔の事で、今はそんな狭い了見の中に住む時ではありません。どこに住もうとも、所詮は同じ人間です。東洋としようは互いに違った背景を持ちながらも、いがみ合う事無く一つに解け合う美しい世代を築き上げていきたいものです


第七十三話  人の役に立たない悲しみ

世の中には、いろいろの悲しみや悩みがありますが、少し変わった悲しみとして、「人の役に立たない悲しみ」があります。これは誰でも持つという悲しみではありません。心善き人、心のきれいな人が持つ悲しみです。

さて、「人の役に立たない悲しみ」とはどんなことでしょう。これは、人の T 目に尽くす事で、人を喜ばすことといってもよいでしょう。これには、犠牲がつきまといます。ある時はお金を、ある時は時間を、又ある時は体を犠牲にしなければなりません。この犠牲があるために、多くの人は、人の役に立たずにいることがしばしばです。しかし、実はこの犠牲と奉仕の精神こそ、私たちの社会を赤るくするものがということを知る時、新しい勇気が湧いてくるものです。

損得を考える時には、奉仕することなど思いもよらぬ事です。損得を離れる時、人の世話も出来、また自分の心にも安らぎがやってきます。人のお役に経つために自分を犠牲にすることは。損のように見えても、見方によっては、これは大きな得のような気がします。自分の時間やお金や体を使う犠牲よりも、これによって他の人が幸せになるのを見る楽しみの方がどれほど大きいか分かりません。良いことと知りつつも、損だからといってしりごみする臆病者になるよりも、良い事には多少の犠牲を払ってもする勇気ある人になりたいと思います。普通誰でもすることならともかく、あまり人の気の進まない事を喜んでするところに大きな意義があります。しかも、その犠牲は無駄になるのではなく、みんなを幸せにするという大きな収穫を得る事ができます。「人のお役に立つこと」は幸せであり、やがては、「人のお役に立たせていただく」という態度にまで進まなければならないと思います。

では、この「人の役に立つ」ことがdきないという理由は何でしょうか。まず最初にかんがえられるのは、病気や年取った人で、したくても体が不自由なためできない人の場合です。体が自由に動かなくては、どうにも仕方がありません。しかし、言葉や態度に気をつけて、家族やお友達に余計な心配をかけないようにし、安心してもらうようにつとめていただきたいと思います。そして、体が良くなった時には、人一倍奉仕の精神を発揮していただきたいと思います。第二に理由は、「私は駄目だから、何もできません」と初めから駄目ときめてしまって、しようとしない事です。私達は、人をびっくりさせるような大きなことはできず、ほんのわずかなことしかできません。しかし、みんなが一人一人少しずつでも人のお役に立とうと努力するところに進歩があります。私は駄目ですから」とそんなに早くあきらめず、「では、私もわずかながらさせていただきます」と言って頂きたいと思います。第三の理由は、他の人のことより自分が大事だからという利己主義です。私達は誰よりも自分が可愛いことはたしかです。しかし、そうだからと言って、人の役に立つ事など爪の垢ほどもしないというのは行き過ぎです。欲のかたまりとなり、自分の欲にばかり走っては、人間ではなく餓鬼畜生の生活です。「人の役に立たない悲しみ」をお持ちでしょうか。人の役に立たない事を当たり前のように思っては居ないでしょうか。


第七十四話   柳 と 蛙

今はあまり聞かない話ですが、私の間子供の頃は、書道の大家、小野道風(おののとうふう)の逸話をよく聞いたものです。ある雨の日、道風が傘をさして柳の木のそばに立っていると小さな蛙がその柳の枝に飛びつこうとして、跳んでは落ち跳んでは落ちM何十回となく失敗を重ねた末、遂に柳の枝に飛びつくことができました。この時、自分の書道に行きづまりを感じ、どうしたら道が開けるだろうかと悩んでいた小野道風は、この小さな蛙に教えられて、たゆまず努力することこそ、目的理想を達成する道だと悟り、やがては書道の大家になることができました。

人生は坂道だとよくたとえられます。誰も山の頂上をめざしていますが、一足飛びに山のすそから頂上までいくことはできません。山道はまっすぐな道ではなく、山腹をぐるぐると曲がってついています。努力心が無ければ途中で落伍してしまうし、よそ見をすれば谷底へ  転げ落ちるかもしれません。山道のこととて、淋しい事、恐ろしい事、悲しい事も覚悟しておかねばなりません。人生もまことに、この山道と同じです。どんな事が起こるかわかりません。よく世間には、「こんな事なら、死んでしまった方がよい」と泣き顔を見せる人があります。つらいのはその人一人ではなくて、この世に生を受けた人は、一人残らずみんな多かれ少なかれ悩みや苦労をかかえています。辛抱と努力なくして、この世は渡れません。

五月二十一日は、親鸞聖人の誕生日です。今から七百九十年前に京都の日野でお生まれになりました。聖人のご一生も、やはり厳しい苦難の連続でした。四歳の時の父の死、八歳の時の母の死、二十年間の比叡山での修行、越後への流罪、関東北陸の教化、息子との義絶など、数々の苦難が訪れました。しかし、親鸞聖人はこれらの事に泣き崩れてしまった人ではありませんんでした。悲しいときや苦しい時には誰も泣きます。聖人も泣きました。然し、その涙の中に人の世の有様を知り、その救済に一生を捧げられた方です。

今の世のなかで、成功者といえば普通お金持ちの事ですが、もしもお金持ちが成功者ならば、親鸞聖人は不成功者、落伍者、失敗者です。しかし、私は親鸞聖人が不成功者だとはおもいません。人心をとらえ、人々に安心と信仰を与えた点で、大成功者でっした。苦労や辛抱なしに成功したい人の多いこの世に於いて、私達はよく親鸞聖人の一生を振り返り、いかに人生の荒波を乗り越えていかれたかを知りましょう。浄土真宗の今日あるのは、親鸞聖人のお人柄が大きく影響しています。平穏な道をたどられた人ではありませんでした。人一倍の努力と忍耐があってこそ、険しい人生に負けず、やがては全ての人が救われるという絶対他力の純宗教的な教えを開くことができたのでしょう。藤の花咲く今は、宗祖降誕会の季節です。藤の花は聖人の家の紋であり、真宗の紋となっています。「下がるほど名前の上がる藤の花」 親鸞聖人の人柄を偲ばせるような歌です。明日の親鸞聖人の誕生日は、心からお祝いしましょう。


第七十五話  釈 尊 成 道 会

十二月八日は成道会(じょうどうえ)です。釈尊が悟りを開いて仏陀となられた聖き日です。ご誕生を祝う四月八日の花祭り、入滅をしのぶ二月十五日の涅槃会と共に、この成道会は、私たち仏教徒が忘れてはならない日です。仏教は。釈尊が悟りを開かれた二千五百年前の十二月八日を以って始まります。今年も又この成道会を迎えるに当り、選りよく開祖釈尊の精神を慕い、同時に仏教を毎日の生活の中に活かすようつとめたいものです。

夏と冬と春秋の三つの季節に合うように三時宮殿が建てられ、百官群臣に常にかしずかれて、人もうらやむ富、財産、地位を持つ身と生まれた釈尊が、これらすべてを投げ捨てて、自分のお城を出られたのは、二十九歳の時だと経典は伝えています。城に居れば、なにの苦もなく過ごす事ができる釈尊にとって、それから六年にわたる一麦一麻の難行苦行は言語に絶する苦しみであったことでしょう。しかしながら、人類の真の幸福、人類の救済のためにと、それに屈しなかった釈尊は遂に勝利を得て、慈悲の教え、仏教を開きました。四苦八苦(生老病死、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦)に悩み悲しむ私たちに対して、曲がった心を直し、正しい心の持ち方を教え、慰めと安心と希望を与えてくれるものが仏教です。

釈尊が人のためには国王の位も捨てられた如く、仏教の精神は何といっても利他の精神です。即ち他を利する慈悲の精神です。「散る時が浮かぶ時なり蓮の花」の俳句の如く、わが身を犠牲にするところに、実はわが身の幸せもやってきます。親は子供を、いくら世話が要っても育てるところに良き親となることができ、しかもそこにこそ親の喜びが湧いてきます。人間は人を助けるところに、人間としての値打ちがでてくるのであり、又人生の楽しみも生まれてきます。取ることばかり考えて与える事を忘れた生活は、畜生の生活と変わらず、生まれがたい人間に生まれた由縁はどこにもありません。自分だけよければよいという利己主義の精神は、仏教の敵であり、人類の敵です。

この世の中は、「ギブ・アンド・テーク」(与えて取る)にできています。取ることが先ではなく、与える事が先です。与える事を知らず、取ることばかりに目を光らせているところには、人生の冷たさと不幸がやってきます。与えるところには必ず幸福の報いがやってきます。人間は、誰も他の人に対して何かするように生まれています。十二月八日は、釈尊成道の日、長き思惟の末に悟りを開かれた日です。私たちと同じ人間としてこの世に生まれながら、人類に光を与えんがためにと、慈悲の教え、仏教が生まれた日です。これが釈尊の伝道の始まりです。慈悲は仏教のシンボルです。お釈迦様がそうであったように、私たちもまた釈尊のみ後を慕う仏教徒として、僅かなりとも利他の行、慈悲の行を実践せねばなりません。しようと思えば、はじめは不可能と思う事柄も案外できるものです。早速皆さんのご家庭で、職場で、利己主義を引っ込めて、利他の行をして下さい。


一世パイオニア資料館 - isseipioneermuseum.com - 2010